【本 文】
智慧の光明はかりなし  有量の諸相ことごとく


光暁かぶらぬものなし  真実明に帰命せよ
【現代語訳】
                                                                      ホーム
  阿弥陀如来の智慧から放たれる光明は、人間の力によってはとても量り知ることができない。
 いつの時代も、どんな国のどのような衆生もみな、この如来の光照をこうむって、煩悩の闇をはらし明るい世界をたまわらないものはない。
 真実の知惠の如来である阿弥陀如来に信順したてまつれ。

【語  釈】

①智慧  如来の智慧には実智(じっち)と権智(ごんち)との二つの側面があるといわれている。
 実智というのは空・無我をさとる智慧ともいわれ、善も悪も優も劣も、迷いも悟もどれもわけへだてなく平等に見る智慧。
 この智慧は分け隔てしない智慧だから、無分別智(むふんべっち)などともいわれる。
 権智というのは、善人も悪人も、迷いもさとりも平等に見る知恵を根底に持ちながら、
 しかもその上で悪を善に導き、迷いをさとりに導くときに、善・悪・迷・悟を区別。分別して知らなければならない。
 この衆生を救うときにはたらく智慧が権智である。
②有量  古写本の左訓に「うりゃうはせけんにあることはみな、はかりあるによりて、うりゃうといふ。
 ぶちほふは、きはほとりなきによりてむりゃうというなり」とある。
 如来の智慧のはたらきの無量、無限であるのに対して、われわれの世界は何一つとして有量、有限でないものはない。
 有量であるわれわれの世界のものは、すべてそれぞれの姿、形を持っているから、諸相といわれる。
③光暁  智慧の光明に照らされて、無明煩悩の闇がはれて、明るくなることを暁に譬えたもの。
 『尊号真像銘文』に「摂取心光常照護といふは、信心をえたる人をば、無碍光仏の心光つねに照らし護りたまふゆゑに、
 無明の闇はれ、生死のながき夜すでに暁になりぬとしるべしとなり」と述べられている。
④真実明  古写本の左訓に「しんといふは、いつわり、へつらわぬを、しんといふ。
 じちといのこと、なからず、もののみとなるをいふなり」とある。
 「もののみとなる」とは、ものとは衆生のこと、「み(実)とは、真実の利益となるということだろう。」
⑤帰命  サンスクリット、ナマスの訳語。帰命の語を、
 (イ)仏の方から、たのみとせよ、たすけると、如来の方から帰せよと命じておられるとする意味と、
 (ロ)信心が礼拝となって動作に表現されるものを帰命という場合もあるが、
 (ハ)今は衆生の方から、仏がたのみとせよ、たすけるの「命に帰する」衆生の心をいう。

【講  読】

 この一首は、前項の「弥陀成仏のこのかたは、いまに十劫をへたまへり、法身の光輪きわもなく、
世の盲冥をてらすなり」とありました法身の光輪が、際限なく世の迷いの衆生をお照らしてくださるありさまを、
これから後に詳しく十二の光で讃嘆され、阿弥陀仏に帰命せよ、阿弥陀仏に帰命せよと勧められています。
 一人の女性でも、親から見れば娘であり、夫から見れば妻であるように、阿弥陀仏にはたくさんの名前があります。
「真実明」「平等覚」「難思議」「畢竟依(ひっきょうえ)」など、みな阿弥陀仏の別名です。
この阿弥陀仏の別名をあげて、帰命せよ、帰命せよと勧めてくださっています。
 「南無阿弥陀仏」ということを、親鸞聖人は「帰命は本願招喚の勅命なり」と述べて、阿弥陀仏が帰せよと命に、
よびかけておられる姿であると教えてくださいました。親鸞聖人は、ご自身が如来の光明を仰ぎつつ、言葉をかえ表現をかえて、
私たちに阿弥陀仏に南無せよ、阿弥陀仏に帰命せよと勧められています。
 「智慧の光明はかりなし、有量の諸相ことごとく、光暁(こうきょう)かぶらぬものはなし」とは、
如来の智慧の光明は、無量光、つまり量りない光であり、有量すなわち量りある、
限りあるものは、ことごとく光暁をこうむらないものはない、ということです。
 「光暁(こうきょう)」ということには深い意味を感じます。
暁とはあかつき、あけぼの、夜明けのことです。闇の中に光が射し込んでくる姿です。
智慧の光明に照らされて、如来のお慈悲に気づかされていただき本願を疑う闇がはれても、煩悩の闇がなくなるわけではありません。
光明に照らされれば照らされるほど、それまで気づかなかった闇が見えてくるというのです。
「凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみねたむこころおほくひまなくして、
臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえずたえずと、水火二河のたとへにあらわれたり」とありますが、
煩悩の闇の中に光を仰いでいくことを「光暁」と述べられたものと思われます。
 私の煩悩の姿に気づけば気づくほど、真実の如来の光明を仰がずにはいられません。
                                                                         黒田覚忍先生
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