◇追善供養をこえて 身近な人々の死の縁にふれたときほど、深い悲嘆と後悔にさいなまれるときはないでしょう。追善供養は、そのような心の傷をいやすものとして、古来より行われてきました。しかし親鸞聖人は、追善供養の意味をこめて称える念仏を、きっぱりと否定されます。今号では、第五条の法語を通して、人情の自然な発露であり、美しい行為とも思われる追善供養の念仏に、どのような問題がはらまれているかを明らかにしていただきます。 |
【註釈版本文】
親鸞は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一辺にても念仏申したること、いまだ候はず。
そのゆゑは、一切の有情(うじょう)はみなもうて世々生々(せせしょうじょう)の父母・兄弟なり。
いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。
わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。
ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生(ししょう)のあいだ、
いづれの業苦にしづめとも、神通方便をもつて、まず有縁を度すべきなりと云々。
【意 訳】
親鸞聖人は、亡き父母に孝養を尽くすために追善供養する、というような意味をこめて念仏を申したことは一度もありません。
そのわけは、すべての生きものは、みな果てしもない遠い昔から、生まれかわり死にかわり、
無数の生存を繰りかえしてきたものです。
そのあいだには、お互いに、あるときは父ともなり、母ともなり、またあるときは兄ともなり、
弟ともなりあったことがあるにちがいありません。
生きとし生けるものは、みななつかしい父母・兄弟なのです。この生を終わって、次の生で浄土に生まれ、
仏陀になったときには、一人ものこさず救わなければならないものばかりだからです。
それに念仏が、自分の力をはげまして積んでゆく善根功徳であってこそ、
その念仏を父や母に施し与えて助けるということもありましょう。しかしそうではありませんから、
念仏を追善の資とすることはできません。
一筋の自力のはからいをすてて、本願他力に身をゆだね、浄土に往生をして、すみやかに仏陀としての悟りを開いたならば、
父や母が、たとえ六道の迷いの境界にあって、さまざまな生を受け、苦しみの中に沈んでいたとしても、悟れるもののみもつ、
超人的な救済力と、巧みなてだてをもって、なにはさておいても、
まずこの世でことに縁の深かったものから救うてゆくはずです、と仰せられました。
▼第五条のあらまし
『歎異抄』の第五条は、念仏を回向して、亡くなった父母を救おうとする追善供養を否定されたものです。そしてその理由をあげて、まず第一には、父母を救うということは、実は一切の有情(うじょう)を救うという意味をもつのだから、とうてい凡夫としてできるわざではないといい、第二には、念仏は、私どもの一人ひとりが生死を超える道として、如来からたまわった行であって、私が造った功徳ではないから、先亡者(せんもうじゃ)に施すことはできないといわれるのです。こうしてほんとうに人を救うということは、まずわが身が自力を捨てて他力に帰し、浄土のさとりを完成した上でのことである、とさとされた法語です。 |
▼仏教の中心のように行われた追善供養
「親鸞は父母の孝養(きょうよう)のためとて、一辺にても念仏申したること、いまだ候はず」といわれたものは、
当時としては―そして現在でも―破天荒な宣言でした。「孝養」とは、もとは孝行とほぼ同じ意味のことばで、
父母を大切にし、よく仕えることでしたが、のちには亡くなった父や母に対する追善供養の意味で用いるようになりました。
さらに亡き父母に対するだけではなく、広く一般に追善供養のことを「孝養」というようになります。
たとえば『平家物語』巻五(富士川)に「西国の軍と申すは、親討たれぬれば孝養し、忌明けて寄せ‥‥」
といっているのは、親への追善供養のことですが、同じ『平成物語』巻九に、一ノ谷の合戦で、熊谷次郎直実が、
平敦盛を組み伏せて、いよいよ首を切るときに「人手にかけ参らせんより、同じくは直実が手にかけ参らせて、
後の御孝養をこそ仕り候はめ」といいます。ここでは直実が敦盛のために追善供養することを「孝養」
といっていることがわかりましょう。
『平家物語』を引くまでもなく、親鸞聖人のころは、仏教といえば、怨霊(おんりょう)のたたりを鎮(しず)め、
病気や災害をのがれるための修法を行う「みたましずめ」の呪術(じゅじゅつ)と見るか、
でなければ先亡者(せんもうじゃ)(すでになくなっている人)が、少しでもその罪の報いを軽く受け、
少しでもいいところへ生まれられるように、善根功徳を亡者へおくりとどける追善の方法を教えるものだと見なされていました。
もっとも今も多くの人々が仏教を見る目は、これと似たりよったりでしょうが…。
▼追善供養の意味と役割
追善というのは、生存者が善根福徳を修め、それを亡き人のあとを追うて与えることで、追福(ついふく)とか、
追修(ついしゅ)とか追薦(ついせん)ともいっています。たとえば『優婆塞戒経』に「もし父喪して、すでに餓鬼の中に堕す、
子(父の)ために追福せば、まさに知るべしすなはち得ん」といわれています。また『盂蘭盆経』に、目蓮尊者が、
餓鬼道におちて苦しむ母を救うために、多くの修行者たちに供養をささげたら、その功徳が母にとどいて
餓鬼道から解放されたと説かれていますが、これはお盆法要の起源になった有名な追善供養説話です。
もっとも『斡灌頂経』第十一や『地蔵本願経』巻下などによると、亡者のために福徳を回向しても、亡者が受けるのは、
その七分の一だけで、七分の六は、回向(えこう)する人の徳となるといわれています。
これを「七分獲一(しちぶんぎゃくいち)」とよんでいます。
生者と死者は、きっちりと別れてしまって、もう生者の手のとどかないところへ行ってしまったと嘆き悲しんでいる人に、
ほんの一分だけでも、死者にも生者の思いがとどき、手がとどくのだと教えようとしているのが、追善供養の教説じゃないでしょうか。
それによって、親しいものと死別した人の深い悲嘆の心の傷を、少しでもいやしてゆこうとされているようです。
ことに亡くなったものを思うにつけても、生前にああもしてやりたかった、こうもしてやりたかったと、
自分の行きとどかなかったことをくやむ思いが、心をしめつけます。そうした悲嘆と後悔にさいなまわれている人の心の傷をいやす、
という機能を果たしていたからこそ、追善供養という死者儀礼が、まるで仏教の中心であるかのように、
インドでも、中国でも、朝鮮でも、日本でも盛んに行われてきたのでしょう。
▼追善供養の限界をこえて
親鸞聖人は、その追善供養としての念仏を、ここできっぱりと拒絶してゆかれるわけです。しかしそれができたというのは、
追善供養よりも、もっと確実に、もっと深く、暖かく人々の悲歎をいやし、
生と死にまことの充実と安らぎを与えてゆくような道のあることを確認されたからだと思います。
人間の知識や能力にはどうしようもない限界があって、手のつけようのないことが多いですが、死の前にたったときほど、
自分の無力を思い知らされることはありません。私どもにとって死の壁は鉄壁よりもかたく、生と死は画然とへだてられて、
死の向こうは、垣間見ることも許されず、生者は死者に指一本ふれることも、想を通わすすべさえもありません。
その生と死の壁を破って、生と死を一望のもとに見とおし、不生不死の永遠な「いのち」の領域に達した方を仏陀といいます。
そこでは生も死も永遠な「いのち」の躍動の一こまに過ぎず、自分と他人のへだても消えて、
「我は汝であり、汝は我である」といえるような一つ の「いのち」の共感の場が開けてゆきます。
このような生死を超えて、生と死を包む広大無辺な大悲の智慧を弥陀の本願といい、すべては、
その大悲智慧の光の中に抱擁されている、と告げているのが『大無量寿経』の教説だったのです。
人間の手の決して届かない地獄の闇の底までも、如来の智慧の光はとどき、心の闇をひらき、苦悩をいやし、
あらゆる桎梏(しっこく)から解放してゆくと説かれています。十方の衆生をあまさず、
わけへだてなく救うと誓願された阿弥陀仏の大悲の願いの宿されていないものはありません。すべてのものは、
如来の大悲智慧の視野におさめられ、一人ひとりが一子のごとく、大切な仏子として念じられているというのです。
追善によって亡き人を苦悩から救うというのが、自分自身すら救えない愚かで無力なものが、
生と死の境を異にしたものを救う力などあろうはずがありません。しかしこんな愚かな私と、そしてすべてのものに、
阿弥陀仏の救いの手がさしのべられていると聞くならば、自身の救いを如来におまかせしたように、
亡き人びとの救いも如来の本願のおぼしめしにゆだねるべきでしょう。逆に言えば、先立った父や母や兄や姉を
確実に救いたもう如来がましますから、私もまた安心してこの如来に救われてゆくのです。
こうして経典を読誦することは、すべてのものをわけへだてなく救いたもう阿弥陀仏の本願のましますことを、
釈尊からお聞かせにあずかっていることでした。また南無阿弥陀仏と、み名を称えることも、
永遠な「いのち」と光のみ親のいますことを、そのみ名を通して聞きひらき、わが身の愚かさを慚愧しつつ、
広大な仏徳を讃仰していることでした。経典を読誦することも、み名を称えることも、決してその功徳を死者に施すためではなく、
私に施したもうたように、すべてのものにこれ を施し与えて救いつつある如来のいますことを教えられ、
その広大の恩徳をたたえているほかはなかったのです。それゆえ
「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず」といいきられたのでした。
▼「いのち」を見つめる視野を開く
ところで『歎異抄』では、追善供養の念仏を否定する理由をあげて、
「一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり‥‥‥」といわれています。
父母を救うということは、一切の有情を救うという意味をもっているが、そのようなことは凡夫にできるわざではなく、
浄土に生まれて、仏陀としての力量を完成したときに、はじめてなしうることだといわれるのです。
有情とは、旧訳では衆生と訳されていた「サットヴァ」を、玄奘三蔵が「有情」と訳しかえた言葉で
「こころあるもの」「いのちあるもの」ということです。「いのち」あるものすべてのものは、互いに父となり、母となり、
子となりあったものであるというのは、のちに述べるように『心地観経』などに出ておりますが、
それはまた、行基の作という
山鳥のほろほろと鳴く声きけば
父かとぞおもふ母かとぞおもふ 『玉葉和歌集』
という古歌で親しまれてきたなつかしい言葉でした。人里遠く離れた山中で修行していた行基が、山鳥の声を、
父の生まれかわりか、母の生まれかわりかと、深い想をこめて聞きいっているありさまが心にひびいてきます。
人はいうまでもなく、鳥にも獣にも、さらに地をはう小さな虫にも、過去世においては、お互いに父であり母であり、
兄弟であり、夫婦であったかと思うとき、鳥獣とも心を通わせ、虫とも共感しあうような深い「いのち」の世界が広がってゆきます。
輪廻転生という教説は、さまざまな要素が複合した宗教思想で、よほど注意深く味わわねばなりません。
その中にはここに述べられたような万物との一体感をともなった深い生命観があらわされていて、
私たちに広く豊かな「いのち」の視野を開いてくれます。
▼浄土に生まれて、はじめて人々を自在に救うことができる
ところでこの『歎異抄』の言葉は、おそらく源信僧都の『往生要集』の「欣求(ごんぐ)要集」
のこころによって述べられたものであろうと思います。
そこには、浄土に生まれた人が獲得(ぎゃくとく)するすばらしい徳を十種に分類して十楽とよばれていますが、
その第六に「引接結縁楽」をあげ、浄土の聖衆が、迷える人びとを自在に救うてゆくありさまをくわしく示されています。
引接結縁楽(いんじょうけちえんらく)とは、浄土に往生して神通力を完成し、この世ではどうしてやろうようもなかった
父母・兄弟をはじめ、一切の有情に仏縁をむすび、ことごとく極楽に導いてゆくことができることをいうのです。
神通力とは、すべてを見とおす天眼通(てんげんつう)、あらゆる声を聞きわける天耳通(てんにつう)、
自他の過去世のありさまを知りつくす宿命通、あらゆる人の心の内を知る他心通、
どこでも自在に行動できる神足通という五種の超人的な能力と、煩悩を完全になくした炉神通とをあわせたもので、
六神通とよんでいます。
阿弥陀仏は、四十八願の第五願から第十願までに、浄土に生まれたものにこの六神通を得しめようと誓われていました。
この神通力をもって、世々正々の父母・兄弟が、たとえ地獄・餓鬼・ 畜生・阿修羅(あしゅら)・人間・天上の六道の
どこに生まれて苦悩を受けていようと、ことごとく救いとげてゆこうというのです。
▼念仏は私の行ではない
さて五条には、念仏を追善供養の手段にしようとするのを否定する第二の理由として、
わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して
父母をもたすけ候はめ
といわれてます。
たとえば自力をもって布施を行じ、すぐれた徳をわが身に積みかさねながら、
その果報を自分が受けずに他者にゆずり与えてゆくというのならば、まだしも話はわかりますが、念仏は、
称えて功徳を積み重ねてゆくというような自力の行ではありません。仏になるにふさわしい善を行ずる事もできず、
功徳を積むこともできない愚悪(ぐあく)の凡夫を救おうとして、如来が、御みずからの徳のすべてを名号にこめて、
恵み与えた如来回向の行なのです。それゆえ私どもは、ただありがたく頂戴(ちょうだい)すべきであって、
わがもの顔に他の人に回向しようなどと考えるべきではありません。私が回向するまでもなく、
如来は万人にわけへだてなく回向しているのです。念仏をすすめているといっても、如来が私にもあなたにも、
念仏を与えていることを説くほかにないのです。
こうして、如来が回向した本願の念仏を、はからいなく信受して、浄土に生まれさせていただき、すみやかにさとりを開くならば、
六道にあって、胎生(たいしょう) (母胎から生まれる)、卵生(らんしょう)(卵から生まれる)、
湿生(しつしょう)(湿気の中からわき出る)、化生(けしょう)(忽念(こつねん)として変現して生まれる)といった四生(ししょう)の
どんな生まれ方をしているものでも、神通力(じんつうりき)をもって救うてゆくことができるのだから、
追善供養を行う必要はないといわれるのです。
梯 実円 先生