今回から「後序」にはいります。唯円房は、ここでまず、前条までにふれた異義が生ずるのは、自己のはからいによってつくりあげた自力の信心だからであると示され、信心一異(いちい)の諍論(じょうろん)を通して念仏者の信心を明らかにされます。この法論は、親鸞聖人が師法然聖人と信心が同一であると主張されたことに対して、先輩の弟子から非難を受けたことに始まります。それでは、親鸞聖人が「往生の信心においては…ただ一つなり」といわれたおこころをうかがいましょう。

【註釈版本文】

 右条々(みぎじょうじょう)は、みなもつて信心の異なるよりことおこり候ふか。
 故聖人(親鸞)の御物語(おんものがたり)に、法然上人の御とき、御弟子(おんでし)そのかずおはしけるなかに、
おなじく御信心のひともすくなくおはしけるにこそ、親鸞、御同朋(おんどうぼう)の御なかにして御相論(ごそうろん)のこと候ひけり。
 そのゆゑは、「善信(親鸞)が信心も聖人(法然)の御信心も一つなり」と仰せの候ひければ、
勢観房(せいかんぼう)・念仏房なんど申す御同朋達、もつてのはかにあらそひたまひて「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、
一つにあるべきぞ」と候ひければ、
 「聖人の御智慧(おんちえ)・才覚(さいかく)ひろくおはしますに、一つならんと申さばこそひがことならめ。
往生の信心においては、まつたく異なることなし、ただ一つなり」
と御返答ありけれども、なほ「いかでかその義あらん」といふ疑難(ぎなん)ありければ、詮(せん)ずるところ、
聖人の御まへにて自他の是非を定べきにて、この子細を申しあげければ、法然聖人の仰せには、
「源空が信心も、如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も、如来よりたまはせたまひたる信心なりされば、ただ一つなり。
別の信心においておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ」
と仰せ候ひしかば、
当時の一向専修(いっこうせんじゅ)のひとびとのなかにも、親鸞の御信心に一つならぬ御ことも候ふらんとおぼえ候ふ。

【意 訳】

 右の各条にあげたさまざまな意義は、いずれも法然、親鸞両聖人の信心と異なった、
各人各様の信心をもっているために生じてきたことのようです。
いまはなき親鸞聖人からうけたまわった話ですが、法然聖人の御在世のころ、たくさんのお弟子がおられましたが、
法然聖人と同じ信心をもっている人はわずかしかおられなかったために、
親鸞聖人が、同門の兄弟弟子たちと論争をされたこともありました。
 それは、親鸞聖人(善信房)が「この善信の信心も、法然聖人の御信心もまったく同じである」といわれたところ、
勢観房や念仏房などと申される同門の方がたが、もってのほかのことだと反対されて、
「師である聖人の御信心と、末弟に過ぎない善信坊の信心が、まったく同じであるなどということがどうしてあり得ようか」といわれましたので、
 親鸞聖人も「師の聖人がおもちになっているような広く深いお知恵や学識と同じであるなどと申すのならば、
それは道理にはずれた言い分でしょうが、念仏往生の本願を疑いなく信ずる往生の信心に関するかぎりは、
まったく異なることはありません。ただ一つです」と御返答されました。
 けれども、なお「どうしてそのような道理があろうか。智慧や学問がちがえば、
当然信心にも浅い深いのちがいがあるはずだ」と疑いなじられるので、おさまりがつかなくなり、
最終的には法然聖人の御前へいき、自他のどちらの言い分が是か非かを定めていただこうということになって、
聖人にことの詳しいいきさつを申しあげたところ、法然聖人の仰せられるには、
「この源空(法然)の信心も、阿弥陀仏からたまわった信心です。
善信房の信心も、如来よりたまわられた信心です。それゆえ、往生の信心はまったく同じです。
もし異なった信心をもっておられるような方は、源空がまいろうとしている浄土へは、
よもやまいられることはありますまい」
と仰せられたところからすれば、直接法然聖人の教えをうけて、
念仏一行を専修しておられたその当時の人々のなかにも、親鸞聖人の御信心と同じでない信心をもっている方がおられたように思われます。


▼後序について

『歎異抄』はここからごじょにはいっていきます。いわばこの書の結論にあたる部分です。
まずはじめに、さまざまな異義が出てくるのは、ちがった信心をもっているからであるといい、
その信心が如来よりたまわったものではなくて、各自が自己のはからいによって作り上げた自力の信心だからであるということを、
信心一異の諍論を通して証明していきます。
 つぎに、仏法について人々にいいまどわされそうになったときは、親鸞聖人がお勧めになったお聖教の指南によって、
正邪(しょうじゃ)を定めるべきであるといい、聖教の拝読についての心得を教えられます。
 そしてさらに親鸞聖人からうけたまわった二つの重大な法語を記して、
聖人の深い宗教的心境を顕わすと同時に、この書の画龍点晴(がりょうてんせい)をおこないます。
その一つは、「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人(いちにん)のためなりけり」という御述懐であり、
もう一つは、「煩悩具足の凡夫、火宅無上(かたくむじょう)の世界は、よろずのこと、みなもってそらごとたはごと、
まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」という仰せでした。
 こうして最後に、この書をあらわさずにおれなかった著者の深い嘆異の想をつづって巻を閉じていくわけです。

▼本願の念仏と信心

 『念仏往生要義鈔』などによれば、法然聖人は、本願の念仏は、智者が称えようと愚者が称えようと価値に変わりはなく、
心をすまして称えようと、散り乱れ濁った心で称えようと、その功徳はまったく等しいといわれています。
しかし信心の一異について述べられた法語は見あたりません。
まして「如来よりたまわりたる信心」というような教説を、現存する著者や法語類のなかに見いだすことはできません。
 もっとも、念仏は、だれが、どのような状態で称えていようと、その功徳は同じであるということは、
一声一声が無上の徳をもっているからであり、それは称えるものがつけ加える徳ではなくて、本願の名号が本来もっている徳です。
その意味で、一声一声が如来よりたまわった念仏であるということをあらわしていたともいえましょう。
 法然聖人は、念仏の信心ついて『浄土宗略抄』に、
    心の善悪をもかへり見ず、つみの軽重をも抄汰せず、
    ただ口に南無阿弥陀仏と申せば、仏のちかひによりて、
    かならず往生するぞと決定(けつじょう)の心をおこすべきなり。 
    その決定の心によりて、往生の業はさだまるなり。
    …詮(せん)じてふかく仏のちかひをたのみて、いかなるところ(過(とが))を
    もきらはず、一定(いちじょう)むかへ給ふぞと信じてうたがふ心のなきを
    深心(じんしん)とは申し候なり

といわれていました。わが心の善悪、罪の軽重もへだてなく、
ただ念仏するものを救いたまう本願であると疑いなく信ずる決定(けつじょう)の信心によって往生は定まるといわれるのです。
 そうすると、本願の念仏が万人平等の救いの道であるように、
念仏往生と本願を信ずる心もまた善悪、賢愚(けんぐ)を超えて万人平等でなければならないと親鸞聖人は領解(りょうげ)されたのでしょう。
そのことを端的に「師弟 一味の信心」と主張されたわけです。
 おそらく親鸞聖人のこの深い洞察の言葉を聞いて、法然上人も驚嘆されたのではないでしょうか。
そしてその言葉に触発されるように、万人平等の信心は「如来よりたまわりたるもの」であるということがひらめいたのではないかと思います。
 信心をたまわるということは、疑いのない本願のみ言葉をたまわるということです。
1人の落ちこぼれもなく、万人を平等に救おうと思し召す大悲心は、万人が歩める道として易行の念仏を選びとり、
「お願いだから、わが名を称え、わが国に生まれてこい」と願い、「わが名を称えんものを、必ず迎えん」と誓われました。
この誓願を仰せのままに聞けば、決定往生の信心が必然的に成就します。
「必ず救う」という仰せは、「必ず救われる」という信心となって、人々の心に実現していくものなのです。
そこには人間の智慧や学識といった自己のはからいは微塵もまじわりません。
 こうして念仏往生の本願をたまわることが決定往生の信心をたまわることであるならば、
同じ本願のみ言葉を疑いなく聞きうけている信心は、全く同じであるといわねばなりません。
そこに「如来よりたまわりたる信心なるがゆえに、ただ一つなり」といいきれる世界があるわけです。
それは親鸞聖人の「往生の信心においてはただ一つなり」という領解を、包みこんで、それに決定的な理由づけをされたことになります。
 おそらく親鸞聖人は「如来よりたまわる信心」という師教を聞いて、深い感銘をうけられたのにちがいありません。
法然上人は、しかし「如来よりたまわりたる信心」ということの意義を教義論的に展開されることはありませんでした。
それを成就されたのが親鸞聖人だったのです。後年、親鸞聖人が、『教行信証文類』をあらわし本願力回向という教義概念をもって、
法然教学を裏づけつつ、浄土真宗の教義体系を確立していかれますが、その源泉は、この信心一異の諍論にあったといえましょう。
本願力回向の宗教は、まさに法然、親鸞両祖の合作であったといっても過言ではありますまい。 




◇聖教の意義

 私たちは、ふだん何気なくお聖教(しょうきょう)を手にしていますが、私たちにとってお聖教とはどんな意味を持つものなのでしょうか。
唯円房は、ここで、もしさまざまな異義を主張するものに惑わされるようなことがあったなら、
親鸞聖人が常にもちいておられたお聖教を信心のよりどころとするように示され、
また、お聖教を拝読するにあたっての心得を述べられます。
それでは、聖人の聖教観をうかがいながら、お聖教の意義について考えてみましょう。

【註釈版本文】

 いづれもいづれも繰り言にて候へども、書きつけ候ふなり。
露命(ろめい)わづかに枯草(こそう)の身にかかりて候ふほどにこそ、あひともなはしめたまふひとびと〔の〕御不審(ごふしん)をもうけたまはり、聖人(親鸞)の仰せの候ひし趣を申しきかせまいらせ候ども、閉眼(へいがん)ののちは、さこそしどけなきことどもにて候はんずらめと、嘆き存じ候ひて、かくのごとくの義ども、仰せられあひ候ふひとびとにも、いひまよはされなんどせらるることの候はんときは、故聖人(親鸞)の御こころにあひかなひて御もちゐ候ふ御聖教どもを、よくよく御覧候(ごらんそうろ)ふべし。おほよそ聖教には、真実・権仮(ごんけ)ともにあひまじはり候ふなり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちいるこそ、聖人(親鸞)の御本意にて候へ。かまへてかまへて、聖教をみ、みだらせたまふじく候ふ。大切の証文(しょうもん)ども、少々ぬきゐでまいらせ候うて、目やすにしてこの書に添へまゐらせて候ふなり。

【意  訳】
いろいろ申しあげましことは、いずれも老いのくりごと、めずらしいことでもありませんが、書きつけました。
 露のような、はかないいのちが、枯れ草のような老いの身に、それでもわずかに保たれているあいだならば、もろともにこの念仏の道を歩んでおられる方がお尋ねもうけたまわり、聖人が仰せられたみ教えのこころをお聞かせ申しあげることもできますが、私が眼を閉じてしまったあとは、さぞかし意義がはびこり、しまりのない状態になるであろうと嘆かわしく思いまして、もしも上に述べたようなさまざまな異議を主張しあっている人々に、いいまどわされることがありましたならば、亡き親鸞聖人が、み心にかなってもちいられていたお聖教などを、よくよくご覧ください。
 およそお聖教には、仏のみこころにかなう真実の教説と、本心をかくして相手に応じて教育的手段として仮に説き与えられた権仮方便の教説とか相混(あいま)じっています。その権仮の説をさしおいて、真実の説をもちいることこそ、聖人の御本意にかなうことです。よくよく注意して、お聖教の趣旨を読み違えないようにしてください。
 聖人の御本意を知るために大切な証拠となる文章を、少しばかり抜きだして箇条書きにしてこの書に添えました。正義と異議を批判する標準にしていただきたい。

▼伝道に生きる人

ここで『歎異抄』の著者は、自分が生きてあるかぎりは、親鸞聖人から伝え聞いた浄土真宗の法義の神髄を取り次がせていただくが、
わが亡きあとは、聖教に依れと勧め、また聖教を拝読するときの注意事項を述べられます。
そしてさらに聖人の教えを正しく領解するための標準となるような文献を箇条書きにしてこの書に添えたといわれるのです。
 『浄土和讃』の「讃弥陀偈讃」の最後に、

    仏慧功徳をほめしめて  十方の有縁にきかしめん
    信心すでにえんひとは  つねに仏恩報ずべし


と讃詠されています。親鸞聖人のご生涯は、わが身にたまわった本願の念仏を、有縁の人びとに伝え、
もろともに阿弥陀仏の救にあえた慶びをともにしようとする「自信教人信(みづから信じ、人を教え信ぜしむ)」につきました。
その教化をうけて唯円房もまた、聖人からお聞かせにあずかった「本願を信じ念仏を申さば仏に成る」
という本願の大道を1人でも多くの人びとに正しく取り次いでいくことを、この世を生きるしるしとしてひたぶるに歩んできた人だったのです。
それだけに、本願の救いを私見によってゆがめたり、私欲によって汚したりすることが許せなかったのです。
そこにこの『歎異抄』を著さずにおれなかった動機もあったわけですが、ここではまず、
信心は聖教によって確立され、正されなければならないということが力説されます。
 聖人の直弟子たちがつぎつぎと世を去り、孫弟子たちの時代になってくると、聞き伝えた教えにも私見によるゆがみがではじめ、
それにくわえて、同じ法然上人の流れをくむ浄土異流の人びとの影響もあって、関東の真宗門徒の法義は乱れはじめていました。
唯円房は、どうかしてその乱れを正し、意義への転落をくいとめようと精魂をかたむけていたのです。
 直弟子の自分が指導していてさえ、つぎつぎと異議に迷う人びとが出てくるのですから、わが亡き後はどんなにか乱れることであろうと、
法義のゆくすえを憂える唯円房の嘆異の情が、この文章をとおして、そくそくと伝わってまいります。
そうしたなかで唯円房は、何よりも聖教を依りどころとして、つねに聖者の判別がなされなければならないといわれるのです。

▼浄土真宗の聖教

 聖教は、また聖典ともいわれています。聖人が『教行信証』総序に、
    ここに愚禿釈(ぐとくしゃく)の親鸞、慶ばしいかな、西播(せいばん)・月支(げっし)の聖典(しょうてん)、
    東夏(とうか)・日域(じちいき)の師釈に、遇ひがたしくしていま遇ふことを
    得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり

と、聖典、師釈に遇い得た慶びを深い感動をこめて述べられていますが、ここでは聖典、師釈という言葉が用いられています。
 聖教とは、聖なる教典ということです。「聖」とは、俗の対することばです。
無明煩悩に支配されている世俗の凡夫に対して、知恵をもって無明を破り、超世俗的な清らかなさとりを開いた方を聖者といいます。
そのような聖者が、迷える人々を世俗から聖なる領域へと導いていくために、言葉を超えた世界を言葉で言い表した典籍を聖典ともいいます。
 天親菩薩は、『摂大乗論釈』三に『摂大乗論』の「最清浄法界所流」という言葉を註釈されて、
「最清浄」というのは惑障と智障といった無明煩悩のすべてを完全に滅した仏陀のさとりの境地のことであり、
「所流」というのは、そこから流れでてくるように正しく説かれた正法のことで、いわゆる十二部経、
すなわち経典のことであるといわれています。
ですから経典のことばは、虚妄分別から出てくる凡夫のことばとはまったく質のちがったもので、
清らかなさとりの世界からとどいて人びとをよびさまし、さとりにむかわしめるはたらきをもっています。
それゆえ万人の心の灯となり、依りどころとなるのです。
 親鸞聖人が、「西番・月支の聖典」といわれたとき、それは、インドから伝来した聖典で、
釈尊が説かれた『大経』・『観経』・『小経』などの「経」と、龍樹菩薩の『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』や、
天親菩薩(てんじんぼさつ)の『浄土論』のように、経のこころをくわしく論述して人々に近づけていかれた「論」をさしていました。
「東夏・日域の師釈」とは、中国や日本につぎつぎと出現された祖師方が、
経・論のこころをそれぞれの時代と民族に受け入れられるように解釈されたもので、「釈」といいならわしています。
中国に出られた曇鸞(どんらん)大師の『往生論註』や『讃阿弥陀仏偈』、道綽(どうしゃく)禅師の『安楽集』、
善導大師の『観経疏(かんぎょうしょ)』・『往生礼賛(おうじょうらいさん)』など五部九巻の典籍、
源信僧都(げんしんそうず)の『往生要集』、法然聖人の『選択(せんじゃく)集』がそれです。
これらが親鸞聖人の信心をささえた聖典で、聖人がつねに「聞くところを慶び、得るところを嘆するなり」と讃仰されていった聖教だったのです。それらの教典を一括して浄土三部経といい、また論と釈をあわせて七祖聖教とよんでいます。
 ところでこのようにわたしどもに、信奉すべき聖教は三経と七高僧の典籍であると知らしめたまうたのは、
『教行証文類』や『三帖和讃』をはじめとする親鸞聖人の御撰述でした。
わたしどもは、親鸞聖人の信仰眼をとおして、はじめてわが身にふさわしい聖教が何であるかを知らさされるわけですから、
その意味では、聖人の御著述はわたしにとってもっとも身近な聖教として尊崇すべきものです。
聖人は『高僧和讃』のなかで、七高僧の徳をたたえて、いずれもさとりの境界である浄土から来現された還相の聖者と仰がれていますが、
わたしどもからいえば、聖人もまた還相の聖者であり、その御撰述は全幅の信頼をおいて信順すべき聖教なのです。
 こうして浄土真宗における聖教とは、親鸞聖人の信仰をささえるものとして、
聖人のみ心になってもちいられた釈尊と七高僧の典籍、および聖人の御著述を指していますが、
さらにさきに述べた聖覚法印や隆寛律師のものも、その聖教に準ずるものでした。
ただしこの場合は、聖覚法印や隆寛律師のすべての著述ではなく、
親鸞聖人の「御こころにあひかなひて御もちゐ候ふ御聖教」だけであったことに注意しておかねばなりません。
いいかえれば、法印や律師の御撰述のなかには、真宗の聖教とはできないものもあるということです。

▼聖教の権実

 ところで仏祖の聖教のなかにも、真実と権仮がまじっていて、
それをはっきりと見分けては拝見しなければならないといわれていますが、これは極めて重大な発言です。
 親鸞聖人は『教行証文類』の「真仏土文類」に、

 真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す

といわれています。
何が真実であり、何が権仮(ごんけ)であるかを知らないということは、万人平等の救いの道を見失い、
如来の広大なみ心をおおいかくしてしまうことになるといわれているのです。
 釈尊がお説きになった教法のなかに、真実と権仮方便(ごんけほうべん)とを分けることは、仏教では一般におこなられてきたことでした。
真実とは、随自意(ずいじい)(自らの意に随(したがう))の教説のことで、仏が自らの本意に随(したが)って説かれた教え、
つまり仏の本意をあらわされた教えということです。
それに対して権仮方便(ごんけほうべん)とは、随他意(ずいたい)(他の意に随う)の教説のことで、
仏が自らの本意をかくして、相手に理解力に応じて程度をさげ、
その人が真実の教えを理解できるところまで育て導くために仮に設けられた教説のことを権仮方便というのです。
「権」も「仮」も「かり」ということであり、「方便」とは「近づく」というとで、仏が相手に近づき、教育して、
真実に近づけていく教育的手段のことをいいます。それが「仮(かり)」であるというのは、
しばらくもちいるだけで、真実を理解できるようになれば捨てていくからです。

▼権と実とを知らせるのが祖師

 仏が説かれた経典のなかに真実と権仮(ごんけ)があるということは、すでに真実に到達したものでなければ、
なかなか見分けのつくものではありません。それを見抜いて知らせる方が祖師といわれる方々なのです。
 たとえば『観無量寿経』には、心を静めて如来、浄土を観察してゆく定善(じょうぜん)の 行が十三種類、
悪を廃して善を修めるさまざまな散善の行が、
上品上生(じょうぼんじょうしょう)から下品下生(げぼんげしょう)まで九種類に分けて説かれています。
いずれも自力の修行をはげんで浄土へ生まれるように努めようと勧められたものです。
ところが『観経』の説法が終わって、その法義の肝要を阿難尊者に付属されるとき、釈尊は、定善でもなく、散善でもなく、
称名念仏の一行を後世に伝えよと付属された。
この付属の説教によって、『観経』を読みかえすと、釈尊がほんとうに説きたかったのは、
阿弥陀仏の本願の行である称名念仏の一行であったといわねばならない。
したがってそこに広く説き明かされている定義、散善の行は自力の執着の強いものを教育して、
自力を捨てさせるための権仮方便としてもちいられた教説であったとしなければならないといわれたのが
善導大師の『観経疏』でした。法然上人は、それによって、
    随他の前には、しばらく定散の門を開くといへども、随自ののちには、還りて定散の門を閉づ。
    一たび開て以後、永く閉じざるは、ただこれ念仏の一門なり。弥陀の本願、釈尊の付属、意これにあり

といい、権仮の道である自力の諸行を棄てて、釈迦、弥陀二尊の御本意にかなった本願の念仏を専修せよと勧めていかれたのでした。
 親鸞聖人は、この善導、法然両祖の教えにしたがって『教行証文類』 を著し、
聖教に説かれた真実と権仮を厳しく批判し私どもが生死を超 える道に迷わないように教示したもうたのでした。
その事を唯円房は「言をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちいるこそ、聖人の御本意にて候へ」といわれたのです。





◇親鸞一人がため

 『歎異抄』を擱筆(かくひつ)するにあったて、
唯円房は、親鸞聖人がつねづねどう朋・同行に語っておられた二つの法語をあげられています。
その一つが、私たちがよく聞かせていただく法語、
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。
されば、それほどの業をもちける身にありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」
です。
それでは、味わい深いこの御法語の心をうかがわせていただきましょう。

【註釈版本文】

聖人(親鸞)のつねの仰せには、
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。
されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」

と御述懐(ごじゅうかい)候ひしことを、いままた案ずるに、
善導の「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫(こうごう)よりこのかた、つねにしずみ、
つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(散善義)という金言に、すこしもたがはせおはしまさず。
 さればかたじけなく、わが御身にひきかけて、われらが身の罪悪のふかきほどをもしらず、
如来の御恩のかきことをもしらずして迷へるを、おもひしらせんがためにて候ひけり。

【意  訳】

親鸞聖人がつねづね仰せられていたことですが、
「阿弥陀仏が、五劫のあいだ思惟してたてられた本願を、よくよく味わってみますと、
それはひとえにこの親鸞一人のためだったのですね。思えばそれほどの重い罪業をもっている身でありますものを、
助けようと思いたってくださった本願の、なんともったいないことか」

と深いお心のうちをお述べくださったことを、今また改めて味わってみますと、善導大師が「自身は現さまざまな罪悪をおかし、
生と死に迷い苦しんでいる凡夫で、はてしない過去から、つねに苦海に沈み、つねにに迷妄の境界を流転してきたものであって、
迷いを超え出て、悟りを開くことのできるような手がかりさえもない身であると知れ」と仰せられた、
あの尊いみ言葉と少しも異なったところはございません。 
 それゆえにまことにもったいないことですが、これはご自身にひきよせて、私どもが、自分の罪悪の深いことも知らず、
このような身を救いたまう如来のご恩がどれほど高く尊いものであるかも知らずに迷うているのを、
思い知らされるための仰せだったと思います。

▼聖人のおおせ

 このあと『歎異抄』の後序には、親鸞聖人がつねにおおせられていた味わい深い二つの御法語があげあれます。
   弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。
   されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ

といわれたものと、つづいて出される、
   善悪のふたつ、総じてもつて存知(ぞんじ)せざるなり。…煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、
   みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

とがそれです。
 この二つの法語こそ、浄土真宗のみ教えの正しい受け取り方を聖人が「御身にひきかけて」お示しくださったものでした。
さまざまな異議、邪説が出てくるのも、この根源には仏法の名において自己を主張しようとする我見があるからです。
自身の愚劣さに気づかないものに如来の真実のわかるはずもなく、如来のみがまことであることを領解(りょうげ)できないものが、
仏法をあ げつらってみても所詮は空しい戲論(けろん)でしかありません。

▼五劫思惟の経説

 「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人(いちにん)がためなるけり」とは
、「聖人のつねの仰せ」であったといわれています。聖人の息吹の聞こえてくるようなことばです。
 親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願をあらわすのに、「五劫思惟の願」という表現をしばしばもちいられています。
「正信偈」に「五劫思惟之摂受」といい、『正像末和讃』に「選択五劫思惟して」と讃詠されているものなどがそれです。
 五劫思惟というのは、『大経』に「五劫を具足し、思惟して」とあるものによるわけですが、五劫の劫とは、カルパの音写語で、
人間の思考を絶するほどの長い時間をあらわす単位として教典にはよく用いられています。
 『大経』によれば、久遠の昔、阿弥陀仏の因位、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)が出現し、
罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の凡夫をもらすことなく、万人を平等に救おうと平等の大悲をもよおされて、
五劫をいう途方もなく長い時間をかけて思惟しつづけてて救いの道を探り、
ついに南無阿弥陀仏という仏の御名をあたえて救おうという念仏往生の誓願をたてられたと説かれています。
それが賢者も愚者も、善人も悪人もわけへだてなく救える平等の大道だったからです。
法然上人は、平等の大悲心の顕れであるような念仏を「選択本願念仏」と名づけ、
親鸞聖人は、念仏一行を選び取られずにおれなかった平等の大悲心を「選択の願心」とよばれました。
 「信文類」の序文には、「信楽を獲得することは、如来選択の願心より発揮す」といわれていますが、
『正像末和讃』には、この如来の願心をつぎのように讃仰されています。
   如来の作願(さがん)をたづぬれば 苦悩の有情(うじょう)をすてずして
   回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり

 阿弥陀仏が本願をおこされたのは、人々の苦悩を共感し、悩むものを見捨てておかなかったからです。
そこで如来は仏徳のすべてを南無阿弥陀仏にこめて心貧しきものに施し与えていく利他の回向をすべてに優先させて、
大悲の願いを実現していかれたというのです。

▼五劫思惟の意味

 念仏往生の道を選択(せんじゃく)するために、法蔵菩薩が五劫(ごこう)ものあいだ思惟されたというこの経説には、
二つのことがらが暗示されているようです。
その一つは、法蔵菩薩というさとりの智慧をきわめたほどの菩薩が、
五劫もの時をかけて思惟(しゆい)しなければ救いの道が見出せなかったということは、救いのめあてである私どもが、
想像を絶する愚か者であり、罪深いものであったということです。
二つには、如来が思いのかぎりをつくした上で、必ず救うと見きわめられた本願の救いは、
微塵の狂いもない確実さで完成されているということです。
 前者は、私どもに身のほどを思いしらせ、後にのべるような機の深信(じんしん)をよびおこします。
そして後者は、本願力の救いの確かさをしらせ、法の深信(じんしん)をよびおこすという意味をもつものです。
「五劫思惟」という言葉は、このように二種深信をよびおこすはたらきを秘めていたから、聖人も大切に味わわれたのでしょう。

▼よくよく案ずれば

 「五劫思惟」という経語のなかに、こうした仏意を聞き開くということは、ただ言葉だけをなぞっていたのでは聞こえてきません。
空しいものと知りながら、世俗の名利にまどい、浅ましいことを思いながらも、
愛欲と憎悪の思いを断ち切ることができない自身の煩悩業苦をとおして、本願のみ言葉を聞きうけて、はじめてうなずけることでした。
それを聖人は「よくよく案ずれば」とおおせられたのです。
 『歎異抄』には「よくよく案ずる」という言葉が、第九条と、ここの二箇所に用いられています。
いずれも自分ではどうしようもない迷いの深さ、愚かさを悲しみながら、
このような身を包んで支えたまう大悲にふれたかたじけなさを感佩(かんぱい)される言葉でした。
そうしたなかから、「ひとへに親鸞一人がためなりけり」という御述懐もでてくるのでした。

▼一人の救い

 『般若経(はんにゃきょう)』のなかに、「如来、ひとりわがために法を説きたまう」といわれていました。
どんなにたくさんの人びとと共に教えを聞いていたとしても、迷妄の夢をさましていただいた感動をあらわす場合は、
「われ一人のために」といわずにおれないのです。
 阿弥陀仏の本願(第十八願)には、「十方の衆生」とよびかけられています。そのよびかけを聞けるのは、
一人ひとりの悩める「わたし」をおいてありません。そこで善導大師も「二河譬」のなかで本願の心をあらわすのに、
    汝一心正念にして直(ただ)ちに来れ。我能(われよく)く汝を護(まも)らむ。衆(すべ)て
    水火(すいくわ)の難に堕(だ)することを畏(おそ)れざれ
といい、如来は一人ひとりに向かって「汝」と単数でよびつづけられていると示されました。
万人の救いを、わが身一つに受けとめて、「ひとへに親鸞一人がためなりけり」といわれたのは、
「汝」と呼びかけられていることに対する応答であると同時に、わか「いのちのみ親」にあたえた感動の表現でもありました。
「なりけり」の「けり」は、感動の助動詞にちがいありません。
 聖覚法印の作と伝えられている『十六門記』という法然伝があります。おそらく安居院流の伝承をまとめたものでしょう。
そこに法然上人が四十三歳で善導大師の『観経疏』の文によって回心されるときの状況を「子が如き下機(げき)の行法は、
阿弥陀仏の法蔵因位の昔かねて定置(さだめおか)るるをやと、高声に唱て感悦髄に徹り、落涙千行なりき」と記されています。
阿弥陀仏は、わたしのようなものを救うために、すでに念仏という行法を定めておかれたのかと叫び、感涙にむせんだというのです。
「親鸞一人がため」という言葉と通ずるものがあります。
 親鸞聖人は、自身を「逆謗の死骸」とおおせられることがあります。五逆罪をつくり、正法を非謗するものは、仏道の死骸に等しいというのです。五劫の思惟とは、まさにこの逆謗の死骸をよみがえらせるようなみわざだったのです。
 逆謗の死骸がよみがえるというのは、自身が逆謗の死骸であることに気づかしめられることでです。
そのことに気づいたものは、如来をして五劫のあいだも思惟せしめたものは、このわたしであったと、深い慚愧を謝念が湧き起こってきます。それが「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」の御述懐だったのです。
それゆえ、つづいて、
   さればそれほどの業をもちける身にありけるを、たすけん
   とおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ
 
といわずにはおれなかったのです。
 なお蓮如本『歎異抄』では、「それほどの業」と記されているところが、大谷大学蔵永正十六年書写本などでは、
「そくばくの業」となっています。「そくばく」とは、「そこばく」のなまりで、数量を明示しないで、いくらかのという意味で、
数量の非常に多いさまをあらわす場合とがあります。「そくばくの業」という場合は、数えきれないほどの罪業という意味になります。
わたしは蓮如本にしたがって、「阿弥陀仏が五劫(ごこう)ものあいだ思惟(しゆい)しなければ救いの道が見出せなかったほど、
それほど深い底なしの罪業をもっている親鸞なのに、お見捨てなく助けようと思いたたれた本願であったとは、
何というもったいないことであろう」といわれたものと理解しています。

▼二種深信について

 唯円房は、聖人のこの御述懐を、善導大師の二種深信のなかの機の深信の教語に重ねて領解していかれます。
善導大師の「散善義」に『観経』の深心(本願を深く信ずる心)を釈して、
    二つには深心。深心(じんしん)」と言ふはすなはちこれ深く信ずる心なり。
    また二種あり。一には決定(けつじょう)して深く、自身は現に
    これ罪悪生死の凡夫、曠劫(こうごう)よりこのかたつねに没し
    つねに流転(るてん)して、出離(しゅつり)の縁あることなしと信ず。
    二には決定(けつじょう)して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は
    衆生を摂受(しょうじゅ)したまふこと、疑(うたがい)なく慮(おもんばか)りなくかの
    願力に乗じてさだめて往生を得(う)と信ず

といわれています。浄土真宗の信心は、この機法二種の深信にいいつくされています。
 第一は機の深信(じんしん)とよばれるように、自身は罪悪深重の凡夫であって、
生死を超えていく手がかりさえないものであると決定的に信ずることであり、これによって自力のはからいが完全にすたります。
第二は法の深信といい、阿弥陀仏の本願力は、取り柄なき凡夫を救うて、必ず浄土に生まれしめたまうと決定的に信じて、
本願力にまかせることです。
 機とは、如来の救いのめあてとなっているもののことであり、法とは、機を救う真実の教法をいいます。
自身が悟りに向かう手がかりさえもないものと知ることも、本願が必ず救いたまう法であると知ることも、
いずれも人間の力で知りうることではなく、如来の本願のみ言葉によって知らしめられることがらであるというので、
善導大師は『往生礼讃』の二種深信の釈では、「信知」することがらであるといわれています。
 このように二種深信は、おおせを聞くところに開ける一つの信心の二相であるから切りはなすことはできませんが、
この聖人の御述懐を、唯円房は、機の深信を中心とした表明であると領解しています。
確かに機の深信を主としながら、罪業の身を救いたまう法を仰いでおられるからです。

▼御身(おんみ)にひきかけて

 こうした聖人の「つねのおおせ」を、唯円房はふるえるような感動のなかで聞いていきます。
   さればかたじけなく、わが御身(おんみ)にひきかけて、われらが身の罪悪のふかきほどをもしらず、如来の御恩のたかきことをもしらずし    て迷へるを、おもいしらせんがためにて候ひけり
 ここには聖人の教語を、そのまま唯円房(ゆいえんぼう)自身の愚かさを知らしめたまうみ言葉といただいている至純な弟子の姿があります。おもえば聖人は、師として弟子に対する方ではなく、つねに仏祖に向かって、自らの領解(りょうげ)を述べるかのように語る方でした。
唯円房たちは、いわば聖人の後姿に育てられていったのでした。
その後姿に、聖人を包んで躍動する如来の大悲のはたらきをまざまざと感じていたにちがいありません。
 聖人の常随の弟子であった連位房は、聖人が阿弥陀仏の化身であるという夢を見たと伝えられています。
如来の前に「それほどの業をもちける身」とひれ伏して念仏される聖人の全身に、
阿弥陀仏の大悲救苦のお姿が二重写しになって連位房の心にきざまれていたからでしょう。




◇善悪のふたつ総じて存知せず

 私たちは、ふだん「あれは善い、これは悪い」などと善悪の価値判断をしていますが、それはいったい何を基準としたものなのでしょうか。
こう考えてみると、あくまで自己を中心としたものの考え方をしている自分に気がつくのではないでしょうか。
親鸞聖人は、このことを私たちに気づかせるために「善悪のふたつ、総じてもつて存知せず」という御法語を残してくださいました。
今回はこの御法語にこめられる深いこころについて講じていただきます。

【註釈版本文】

まことに如来のご恩といふことをば沙汰(さた)なくして、われもひとも、よしあしといふことをのみ申しあへり。
 聖人の仰せには、
「善悪のふたつ、総じてもつて存知(ぞんじ)せざるなり。
そのゆゑは、如来の御こころに善(よ)しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、
悪(あ)しさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫、
家宅無上(かたくむじょう)の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、
ただ念仏のみぞまことにておはします」

とこそ仰せは候ひしか。
 まことに、われもひともそらごとをのみ申しあひ候ふなかに、ひとついたましきことの候ふなり。
そのゆゑは、念仏申すについて、信心の趣(おもむき)をもたがひに問答し、ひとにもいひきかするとき、
ひとの口をふさぎ、相論をたたんがために、まつたく仰せにてなきことをも仰せとのみ申すこと、
あさましく嘆き存じ候ふなりこのむねをよくよくおもひとき、こころえらるべきことに候ふ。
 これさらにわたくしのことばにあらずといへども、経釋の往く路(じ)もしらず、
法門の浅(せん)深(じん)をこころえわけたることも候はめども、さだめてをかしきことにてこそ候はねば、
さだめてをかしきことにてこそ候はめども、古親鸞の仰せごと候ひし趣、百聞が一つ、かたはしばかりをもおもひいでまゐらせて、
書きつけ候ふなり。かなしきかなや、さいはひに念仏しながら、直に報土に生まれずして、辺地(へんじ)に宿をとらんこと。
一室の行者のなかに、信心異なることならんために、なくなく筆を染めてこれをしるす。
なづけて『歎異抄』といふべし。外見あるべからず。

【意  訳】


まことに私どもは、如来のご恩ということを問題にせずに、われもひとも善だ、悪だと他の批判ばかりをしあっています。
 親鸞聖人の仰せに
「何がほんとうに善であるのか、悪であるのか善悪のふたつながら、私は全く知りません。
それというのも、如来がすべてを知りとおす智慧をもって、これは善であると思し召されているほど徹底して知っているのであれば、
善を知ったことにもなりましょうし、如来が、これは悪であると思し召すほどに徹底して知っているのであれば、
悪を知ったことにもなりましょう。けれども、私はさまざまな煩悩をことごとく具えている凡夫であり、
この境界はまるで火のついた家のように危険にみち、変化してやまない無上の世界です。
こうした無上の境界を、煩悩を燃やしながら生きる凡夫のいとなみは、あらゆることが、
みなことごとく空しい虚構であり、いつわりごとであって、まことのことは、何一つありません。
そんななかにあって、ただ本願の念仏だけが、煩悩のけがれを超え、永遠に変わることのない真実であらせられます」
と仰せられました。 
 ほんとうに、われも人も、うそいつわりばかりを申していますが、その中でとりわけ心のいたむことが一つあります。
それは、念仏を申すについて、その信心のいわれをたがいにたずねあい、また人にも説いて聞かせるときに、
相手にものをいわせず、議論をうちきるために、全く聖人の仰せでないことであるといいはることで、まことにあさましく、
なげかわしくおもいます。この趣旨を充分理解し、お心得いただきたい。
 以上もうしてきたことは、決して私個人の独断的な言葉ではありませんが、なにぶん経典や論釈のすじ道も知らず、
教義の浅深を見分けるほどの力量もない愚かなものが記したことですから、きっとおかしい点もありましょうが、
いまはなき親鸞聖人がおおせくださったみ教えの百分の一にもたらない、
ほんのその一端だけを思い出して書きつけたような次第です。
 さいわいにもあいがたい教えにあい、せっかく念仏を申しながら、
ただちに阿弥陀仏のおさとりの境地である真実の報土に生まれることができないで、
自力のはからいゆえに極楽の辺地とよばれる方便の浄土につどまるということは、
何という悲しいことでしょう。同じ親鸞聖人の流れをくむ同門の行者のなかに、聖人の信心と異なるというようなことがないようにと念じ、
悲しみの涙をぬぐいながら筆をそめ、これを記しました。
それゆえ『歎異抄』と名づけることにしましょう。念仏にこころざしのない人には見せないようにしてください。


▼如来を見失った人間


 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、…」といわれた親鸞聖人の御述懐を聞いてみますと、大悲本願のみこころは、
わが身の深い煩悩業苦のなかでのみ確かめる ことのできるものであるということが思い知らされます。
そしてまた、本願のみ言葉によびさまされたとき、はじめて私どもは自信の迷妄の深さに気づき、
真実の何たるかにめざめさせるのだということも。
 ところが私どもの現実は、如来のよびかけに耳をふさぎ、真実に背を向けて、めいめいが自分を中心とした愛憎の世界を虚講し、
みずからえがいた心の影におびえ、悩み、争いしているようです。
そうした如来を見失った人間の愚劣な不毛の争いを、唯円房は、
「まことに如来の御恩といふことをば沙汰(さた)なくして、われもひとも、よしあしといふことのみ申しあへり」
ときびしく指摘されたのでした。そして親鸞聖人のまことに感動的な御法語を紹介されます。
   善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。そのゆゑは、
   如来の御(おん)こころに善しとおぼしめすほどにしりとほしたら
   ばこそ、善しきをしりたるにてもあらめ、如来の悪(あ)しとおぼ
   しめすほどにしりとほしたらばこそ、悪(あ)しさをしりたるにて
   もあらめど、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫、家宅無上(かたくむじょう)の世界は、
   よろずのこと、みなもってそらごとたはごと、まことある
   ことなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

「善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり」という一言には、自分の都合をいつも価値判断の中心にすえて、
自分にとって都合が善いか、悪いかだけで、互いに善だ、
悪だと言い争っている私どもの日常のいとなみの空しさと虚構性をズバリえぐり出すようなひびきがあります。

▼総じてもって存知せず

 『歎異抄』には、「総じてもって存知せざるなり」という親鸞聖人のお言葉が二箇所に出ています。
その一つは、第二条に、
    親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、
    よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。
    念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。
    総じてもつて存知せざるなり。

といわれたものであり、もう一つは、この後序のお言葉です。
 念仏が浄土への道なのか、それとも地獄へ落ちていく道なのか、私は全く知らないと言われた言葉には、
人間の知性の限界をはっきりと思 い知った人だけが言い切ることのできる厳然(げんぜん)とした力があります。
自分の人生の行方を自分で知り通すことができないというところに、人間の知性の根元的な悲劇性があるのです。
死の彼方を見透すことのできないものが、いかにも知ったかぶりをして、さまざまな論争していることこそ、
最大の愚劣(ぐれつ)といわねばなりません。
人間が知りうることは何であるか、知りえないことは何であるかをはっきりと知ることこそ、真の智というべきでしょう。
第二の「総じてもつて存知せざるなり」は、生と死を分けてとらえるしかない人間の認識能力は、
死の彼方を見とどけることが決してできないという限界を指摘し、
生死(しょうじ)の彼岸は、生死一如とさとる仏智(ぶっち)のみが知ることを暗示していました。
それゆえ私どもには、その仏智の領域を告げる本願のみ言葉を、
「よきひとの仰せ」をとおして聞きひらくほかに人生の行方を知るすべのないことを明示されていたのです。

▼よしあしのけじめ

 これに対して後序の後序の「総じてもって存知せざるなり」は、人間の行いの善し悪しの価値判断について、
それを知りとおす能力をもたない人間が行う倫理的判断の曖昧(あいまい)さを指摘された言葉でした。
私どもは正しくものを見、公平に善悪の判断をしていると思いこんで いますが、はたしてそうでしょうか。
もしあらゆる事柄について、公平な倫理的判断がなされているならば、私どもの身辺は、
もう少し条件のとおったものになっているのではないでしょうか。
 わたしどもの生活にとって「よし、あし」のけじめをつけることはきわめて大切です。
言っていいことと悪いこと、していいことと悪いことのけじめがつかなかったら、社会の秩序は乱れ、日常生活の安全は保たれません。
しかしそれだけに善悪の判断の基準が問題になるのです。判断の基準が変われば、善が悪にもなり、是が非にもなってしまうからです。
封建主義の体制下において善と認められた行為が、民主主義の体制下では必ずしも善ではなかったり、
資本主義社会で是とされることが、共産主義社会では非とされることも少なくありません。
またある国では英雄とたたえられていましても、その人に征服された民族にとって、その人は悪魔でしかないでしょう。
さらに人類にとっては医学の進歩は必要不可欠なことですから、そのために実験用動物の殺害は、
是なる行為と認められていますが、殺される動物たちにしてみれば、人類とは悪魔のごとき残虐非道な動物でしかありますまい。
 このように、善悪の基準が、時代によって、国家によって、あるいは文化の違いによって、
さらに判断する人によって変わっていくとすれば、「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり」といわざるをえないのではないでしょうか。

▼自心にたぶらかされて

 考えてみると、私どもの日常生活は、意識するとしないにかかわらず、常に自己中心的な想念に支配されています。
自分に都合のいいものを「善」といい、自分に役立つことがらを「是」とし、自分に都合の悪いものを「悪」といい、
自分に邪魔(じゃま)になる存在を「非」と呼んでいるのです。
そして、自分に都合のいいものに対しては愛着し、都合の悪いものには憎悪の感情を持って対応します。
こうして私どもは自己中心的な自心にたぶらかされて、善悪・是非を判断し、愛と憎しみの世界を描き出しているのです。
 人の顔が十人十色であるように、人はみな都合がくいちがっています。
私にとって都合がいいことが、彼にとって悪であったり、彼にとって是であることが、私にとって非であったりすることはいくらでもあります。
ですから自分の都合だけを中心にして判断し、行動していけば、必然的に争いが起こってきます。
たまたま利害関係が一致するものは同士として結びついて党派をつくり、利害が相反すれば敵とみなして憎悪を燃やしていきます。
こうして人は愛憎(あいぞう)の煩悩に翻弄(ほんろう)されながら満身創痍(まんしんそうい)の人生を送っているとすれば、
まことに「そらごと、たわごと」といわざるをえません。
 こうした人間が形成していくさまざまな集団、
家族・親族・地域共同体・民族・国家はいずれも強力な自己中心性を核として成立していますから、
いつはてるともしれない抗争がつづくのも当然といえましょう。

▼ともにこれ凡夫のみ

 こうした人間の悲しむべき性に、厳しい批判の目をむけたのは、中国では荘子であり、わが国では聖徳太子でした。
おそらく親鸞聖人は、聖徳太子の影響をうけられたのでしょう。
 『憲法十七条』の第十条にはつぎのように述べられています。
     人みな心あり、心おのおの執ることあり。かれ是んずればすなはちわれは非んず、われ是みすればすなはちかれは非んず、
     われかならず聖なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫ならくのみ。
     是く非しきの理、たれかよく定むべき。あひともに賢く愚かなること、鐶の端なきがごとし。

 「人にはみな心がある。その心は、それぞれに自己中心的なとらわれに支配されている。
そういう自分本位な立場からあらゆることを判断するから、彼がよしとすることを、われはあしとみなすし、
彼がよしとみなすことを彼はあしとするようになる。しかし我が決してあやまちをおかさない聖人ではかならずしもない。
我ひとともに、自己中心的な想念にふりまわされている凡夫にすぎないのである。
このような凡夫同志が、是非を争ってみても、これこそまことの是であり非であると決定することはだれにもできはしない。
お互いに賢さと愚かさが同居していて、ちょうど金でできた円形の耳飾りの輪の一点は、
始めであると同時に終わりでもあるようなものである」というのです。
 日本人が仏教の「凡夫」という言葉を用いた最初期の文献がこの『憲法十七条』ですが、古来「ただひと」と読みならわされています。
特別の人ではなく、普通の人間ということですが、これによって普通の人間が、どれほど危険な存在であるかということを思い知らされます。
その是非の論はおそらく『荘子』の「斉物論」によったものでしょうが、インド文化の結晶である仏教と、
中国の智慧ともいうべき荘子の思想をあわせうけて、みごとな人間分析をされたのが聖徳太子だったのです。
 太子は、こうした人間の秘めている恐るべき危険性を観察されたからこそ、
この『憲法十七条』を制定して、仏(真実にめざめた方)、法(仏の示された正しいみ教え)、
僧(仏の教えを実践する人びとの和やかなつどい)の三宝に帰依して、まがれる心を正し、
平和な社会の実現に向かうべきことを指示しようとされたのでした。
 親鸞聖人は、聖徳太子を「和国の教主」とあおぎ、日本仏教の父として尊敬されていますが、
それだけではなく、阿弥陀仏の慈悲をあらわす観音菩薩の化身として、私を導き育ててくださった方として信奉されていたことは、
『正像末和讃』所収の「皇太子聖徳奉讃」十一首をはじめ、『皇太子聖徳奉讃』七十五首、『大日本国粟散王聖徳太子奉讃』百十四首など、
多くの聖徳太子和讃によってうかがうことができます。
この『歎異抄』の法語は、おそらく太子の人間観を、聖人の鋭い宗教的感性によって、再認識されたものといえましょう。




◇ただ念仏のみぞまこと

 私たちは、何をたよりに生きているのでしょう。そう考えてみると、周囲によりどころとなる確かなものを、
何一つ見出すことのできない自分に気づくのではないでしょうか。
その私に、親鸞聖人は「ただ念仏のみぞまことにておはします」と語ってくださいました。
ただ念仏だけが、唯一絶対の真理であると信知された聖人の信念の御法語のおこころをうかがわせていただき、
この講座を結ばせていただきます。

▼「まこと」と「いつわり」

 親鸞聖人は「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり」と断言されましたが、
しかしそれは、善悪という倫理的判断を全面的に否定されたということではありません。
ただ自分の都合を中心にしておこなう、私どもの日常の善し悪しの判 断の虚構性とあいまいさを厳しく指摘されたものでした。
仏教には、私ども凡夫の想念をまじえない真実な善悪の判断もあるわけです。そのことはつづいて述べられる、

    そのゆゑは、如来の御こころに善(よ)しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、善きをしりたるにてもあらめ、
    如来の悪しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、悪(あ)しさをしりたるにてもあらめど、
    煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫、家宅無上(かたくむじょう)の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、
    まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします


 という文章のなかに読みとることができます。
 すべてを知り徹された如来だけがなしうる「まこと」の判断と、煩悩 具足の凡夫がなす「いつわり」の判断とが対比されています。
如来が一点の私心もまじえることなく、すべて知りつくす真実の智慧をもって「よし」と判断された道は、
自他ともに安らかな涅槃(ねはん)のさとりを開くことのできる道であり、 「あし」とおおせられる行いは、
自他ともに破滅におちいる煩悩悪業(ぼんのうあくごう)をさしていました。
仏教とは、こうした如来の見極められた真実の道を説くものだったのです。
 これに対して私ども凡夫が、自己中心の想念(妄念(もうねん))をもって善悪の判断をおこない、我欲にうながされてなすような善行は、
たとえ善であっても迷妄(めいもう)の所作(しょさ)にすぎないから、究極の安らぎに至ることはできないといわれるのです。

▼聖徳太子の遺告

 凡夫のいとなみは、すべてそらごとにすぎない、真実はただ如来であるということは、聖徳太子もすでにいわれていました。
 『上宮聖徳法王帝説』によれば、聖徳太子が崩御されたとき、後に残されたお妃、橘大娘は、悲しみのなかから、
太子をしのんで太子が往生されている浄土のありさまを二張りの繡帳として織りあげていかれました。
有名な「天寿国繡帳」です。そこには亀の甲をかたどった模様が散在しており、そのなかに六字ずつ文字が記されていました。
この亀甲文をあわせると四百字になりますが、そこに太子が生前、橘大娘に語っておられたというつぎのような言葉がでています。
   我大王所告、世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真〈ゆいぶつぜしん)(我(あ)が大王(おほきみ)の告(の)り
   たまへらく、世間は虚(うつは)り仮にして、唯仏(ただほとけ)のみこれ真ぞ〉

 「世間虚仮、唯仏是真」というような言葉を、愛するお后に残していかれた太子は、自身もふくめて、
人の世のいとなみのいつわり(うつわり)と空しさに深い悲しみと痛みを感じておられたにちがいありません。
 叔母にあたる推古天皇の摂政として、さまざまな内憂外患をかかえていた日本の舵取りをしていかれた太子は、
激しい権力闘争にも勝ち残れた政治家でした。それもただの権力ではなく、冠位十二階を制定し、十七条の憲法を宣布して、
新しい国づくりの方向を示す画期的な民族の指導者だったのです。
しかしまた、『唯摩経義疏』に「国家の事業を煩いとす」としるし、『法華経義疏』に「国王・王子・大臣・官庁に親近せざれ、
これ憍慢の縁なり」といわれるような反世俗的な一面ももっておられました。

▼世間虚仮

 強烈な我欲と憎悪の情をもった人間同士が、ともかくも共存していくためには、政治的な権力による規制がどうしても必要になります。
しかしその政治権力には一種の魔力があって、しばしば人間を押しつぶしてしまう危険性をもっていることを、
誰よりも太子はよく知っておられたのでした。人は権力欲と利欲を満たすためには、
どんな恐ろしいことでもしてしまう凶暴さを秘めていることを、権力の座にあるが故に知りつくしておられたのでしょう。
 そうした矛盾に引きさかれるような思いをもって生きつづけねばならなかった王子は、心の許せるお妃にだけには、
「世間は虚仮なり」といわずにおれなかったのでしょう。そうした自身の危なさと人の世への悲しみをとおして、
その悲しみをいやし、空しさを充たしてくれる究極の心の依(よ)りどころは、ただ仏陀の大悲のみ心であり、
智慧のみ教えだけであるという思いを深めていかれたのでした。それが「唯仏のみこれ真ぞ」というつぶやきとなったのにちがいありません。
 「天寿国繡帳」の亀甲文の全文は『法王帝説』にしかでていませんが、親鸞聖人は『法王帝説』を読まれていませんから、
「世間虚仮、唯仏是真」という言葉を聖人は知るよしもありませんでした。
しかし『歎異抄』の「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもつてそらごとたわごと、まことあることないに、
ただ念仏のみぞまことにておはします」という法語は、聖徳太子のご遺告にぴったりと重なっていきます。
六百年という歳月をへだて、互いに相まみえることもなかったけれども、世俗にありながら仏道を生きられた二人の聖者は、
一つの真実をめざして生き、ともに同じ領域を確認しておられたといえましょう。
 
▼三毒の煩悩

 「煩悩具足の凡夫」という言葉は、善導大師の『往生礼賛』に、自身の内奥を信知された、
いわゆる「機の深信」の告白のなかにでています。
   自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少(ぜんごんはくしょう)にして三界に
   流転(るてん)して家宅を出(い)でずと信知す

といわれたものがそれです。貧欲・瞋恚・愚痴をはじめ、自分の心を汚染し、他者を傷つけ、自他ともに苦悩の淵に沈めていくような、
さまざまなみにくい心のはたらきを煩悩といいます。身と心を煩わせ悩まし乱すものだからです。
 貧欲(とんよく)とは、自分に都合のいいものに愛着し、むさぼり求めていく我欲のことで、貧愛ともいいます。
瞋恚(しんに)とは、自分に都合の悪いものを嫌いにくみ、いかり、うらむこで、瞋憎ともいいます。愚痴(ぐち)とは、
正しい道理を知らない無知のことです。
ただ何も知らないということではなくて、世界と自分のまことのありかたを知らず、真実のありように背(そむ)き、
誤った想念にとらわれていることです。まるで世界は自分を中心に回っているかのように妄想(もうそう)するこの愚痴によって、
すべてについて自己中心に考え行動していくようになります。
 私どもは自己中心の妄念である愚痴にうながされて、自分の都合のいいもの(順境)に対しては貧欲(とんよく)をおこして愛着し、
むさぼりを求め、反対に自分に都合の悪いもの(逆境)に対しては
瞋恚をおこして怒り憎みこうして愛憎違順(あいぞういじゅん)の世界を現出していきます。

▼煩悩具足の凡夫

 それは愛と憎しみの影像を、虚空のスクリーンのうえに描き出しながら、それがまるで客観的にたしかなものとして実在するかのように、
是非を争って狂奔(きょうほん)している私どもを煩悩具足の凡夫とおおせられたのでした。
 しかも愛憎の心は、この生を終わるまでわが身につきまとい、
死ぬまで煩悩の太地を離れることができないものを「凡夫」というのだと聖人は断言されます。
『一念多念文類』に、
   「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も
   おほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむここをおほく
   ひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、
   たえずと、水火二河(すいかにが)のたとへにあらわれたり

といわれています。この世にある限り、愛欲におぼれ、瞋憎(しんぞう)の火をもやしつづけるしかないもの、
それが「かかるあさましきわれら」であるといわれるのです。そこには自身とこの世への深い断念がありました。
「よろずのことみなもってそらごとたはごと、まことあるなきに…」という述懐(じゅっかい)は、
こうした凡夫としての生き方を厳しく慚愧(ざんぎ)していく断念の言葉であったといえましょう。

▼如来のよびさまし
 
 それにしても自分の人生を、愛憎の煩悩が描き出す虚構の世界であるといい切り、
「それごとたはごと、まことあることなし」というような断言が、はたして人間にできることでしょうか。
むしろ私どもは、空しいと思いつつもわが身をたのみ、裏切られながらもこの世に夢を描き続けようとするものなのです。
その夢を絶ち切るような厳しさを秘めた聖人のご述懐は、単に人間の感慨ではなくて、
如来によってよびさまされたお言葉であったというべきでしょう。
 先に述べたように善導大師も、自身が煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫であるということは「信知」することがらであるといわれてました。
信知(しんち)とは、自分の力で知ることではなくて、如来のみ言葉によびさまされて、疑いようもなく「知らされた」ことを意味しています。
『歎異抄』第九条に「仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば」といわれたのも、
それが如来のおおせによって知らされたことがらだったからです。
 私どもの甘い夢想を断ち切って、煩悩具足の凡夫と思い知らせ、人の世を煩悩の火のもえさかる家宅と知らせて、
私どもをその迷妄(めいもう)からよさまし、真実の領域へと導こうと願われたのが阿弥陀仏の誓願でした。
その誓願は南無阿弥陀仏という名号となって家宅のすみずみにまでひびきわたり、かたくなな煩悩の心を開いて、
本願の世界へと向かわしめていかれるのでした。
煩悩具足と信知することは、如来の本願力につつまれてあることを信知することと一つのことがらでした。
よれゆえ『高僧和讃』には、「煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば」
と讃詠されたのでした。
     
▼真実は名号となって

 親鸞聖人は『一念多念文類』に、
   真実功徳と申すは名号なり。一実真如(いちじつしんにょ)の妙理(みょうり)、円満(えんまん)せるが
   ゆゑに、大宝海(だいほうかい)にたとえたまふなり。…かたちをあらはし、
   御なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。
   すなわち阿弥陀仏なり

といわれています。
自他のへだてを超え、愛憎(あいぞう)の分別を超えた、自他一如、怨親(おんしん)平等の絶対の真実は、
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)というみ名となって衆生にみずからを知らしめていくというのです。
 その本願の名号は、現実には私どもの口に念仏となって現れています。
念仏は、確かに煩悩にまみれた私の口に現れていますが、決して私の妄念の心から出たのではありません。
親鸞聖人も「行文類」に「しかるにこの行は大悲の願より出(い)でたり」とおおせられたように、
その一声一声は、阿弥陀仏の真実なる大悲の願心から流れでてきた無上の法であるといわれています。
念仏は絶対の真実が、私どもをよびさまし、真実の世界へと招きたまうみ言葉だったのです。
それゆえ南無阿弥陀仏のいわれを顕して「本願招喚の勅命なり」といわれたのでした。
 是非を争い、愛憎(あいぞう)に迷いつづけるものにも如来召喚のみ言葉がひびき入るとき、
愛憎を超えた究極の依りどころを信知せしめられ、生死の帰するべき安らかな涅槃(ねはん)の世界のあることに気づかされていきます。

▼みのり豊かな人生

 生きることの意味もわからず、いのちの行方を知るよしもなかったものも、
「如来は衆生を一子のごとく憐念(れんねん)す」と聞けば、
自分が如来からかけがえのない大切な仏子として念じられていることを信知して、
如来子として自他を見る心が開けていきます。
そして「至心(ししん)に信楽(しんぎょう)して我が国に生まれんと欲へ(まことに疑いなく、わが国に生まれることができるとおもえ)」
(第十八願)と願われている身であると聞くならば、私には死としか思えないが、まことには浄土へ生まれていくことであったと信知して、
死を、永遠の生と受けとることのできる見に育てられていきます。
 如来にあうことのできない人生は空しく過ぎてしまいますが、真実のみ言葉につつまれた人生は豊かに充実していきます。
行方の見定めら れない人生は恐怖にみちていますが、「いのち」の方向を浄土と定めれた人生には深い安らぎがあります。
 こうして本願の念仏は、そらごとたわごとの人生に豊かな実りをあらわし、嘘の人生を本物に変えていきます。
そのことを聖人は「ただ念仏のみぞまことにておはします」といわれたのでした。

                                                                      梯 実円 和上