◇他力の悲願
南無阿弥陀仏の名号のおいわれを聞かせていただき、念仏申す身にさせていただいた私たちです。しかし、お念仏してはいますけれども、おどりはねるような喜びの心が湧(わ)き起こってくるでしょうか。また、一刻もはやく安養の浄土へ生まれたいという思いが起こってくるでしょうか。今回は、親鸞聖人も不審に思われていたこのふたつの問題をもとに、日々、みにくい愛欲の生活を送っている私たちと、それゆえあたえられる大悲の本願について講じていただきます。

【註釈版本文】

 念仏申し候へども、踊躍歓(ゆやくかん)喜(ぎ)のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころに候はぬは、
いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、
 親鸞もこの不審(ふしん)ありつるに、唯円房(ゆいえんぼう)おなじこころにてありけり。
よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふなり。
よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは煩悩の所為(しょい)なり。しかるに仏かねてしろしめて、
煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかなくのごとし、われらがためなりけりとしられて、
いよいよたのもしくおぼゆるなり。
 また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労(しょろう)のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、
煩悩の所為なり。久遠劫(くおんごう)よりいままで流転(るてん)せる苦悩の旧里(きゅうり)はすてがたく、
いまだ生まれざる安養浄土はこひしからず候こと、まことによくよく煩悩の興盛(こうじょう)に候ふにこそ。
なごりをしくおもへども、娑婆(しゃば)の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり。
いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲願はたのもしく、
往生は決定(けつじょう)と存じ候へ。 踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、
煩悩のなきやらんと、あやしく候ひまなしと云々。


【意 訳】
 「念仏を申していますが、喜びの心は薄く、天におどり地におどる喜びの心が湧(わ)いていませんし、
また急いで浄土へまいりたいと思う心が起こってこないのは、どういうわけでしょうか」と、おたずね申しあげたところ、
 聖人は、「親鸞もそれをいぶかしく思っていたが、唯円房、そなたも同じ心であったか。よくよく考えてみると、
天におどり地におどるほど喜ばねばならないことを、そのように喜ばないわが身を思うにつけても、
いよいよ往生は一定(いちじょう)の身であると思います。というのは、喜ぶべき尊いおみのりをいただいて、
喜ぼうとする心をおさえとどめて喜ばないのは、煩悩のしわざです。しかるに仏は、このような私であることをかねてからお見とおしのうえで、
煩悩具足の凡夫を救おうと仰せられているところですから、他力の悲願は、このように浅ましい私どものためであったと
気づかされてますますたのもしく思われます。
 また急いで浄土へ参りたいというような思いがなくて、ちょっとした病気でもすると、
もしや死ぬのではなかろうかと心細く思うのも煩悩のしわざです。久遠の昔から、ただ今まで流転しつづけてきた迷いの古里(ふるさと)は、
苦悩にみちているのに捨てにくく、まだ生まれたことのない浄土は、安らかな悟りの境界(きょうがい)であると聞かされていても、
慕わしく思えないということは、よくよく煩悩のはげしい身であるといわねばなりません。まことに名残はつきませんが、
娑婆にあるべき縁が尽きて、どうにもならなくてこの世を終わるときに、かの浄土へは参るはずのものです。
いそいで参りたいという殊勝な心のないものを仏はことにふびんに思われているのです。それを思うにつけても、
いよいよ大悲の本願はたのもしく仰がれ、この度の往生は決定であると思いたまうべきです。
 念仏するにつけて、天地におどりあがるほどの喜びもあり、また急いで浄土へ参りたいと思うようならば、
自分には煩悩がないのであろうかと、かえっていぶかしく思うでしょう」と仰せられました。


▼二つの問い

 『歎異抄』第九条は、親鸞聖人と唯円房の対話をなまなましく伝えています。もともと『歎異抄』の前半の十条は、
唯円房なり、だれか他の門弟の問いに答えられた聖人の御法話を収録したものであったと思いますが、
第九条以外はその問いが省略され、第九章以外はその問いが省略され、聖人のお答えだけが記録されていました。
それなのに、ここには唯円房の問いが記されているということは、この問い自身が深い意味をもっていたからにちがいありません。
 その問いというのは、念仏往生の教えの領解をめぐる二つの問題についてでした。念仏しているけれども、
「踊躍(ゆやく)」する(おどり、はねる)ほどの法悦(ほうえつ)がわきあがってこないということと、
もう一つは一刻もはやく浄土へ生まれたいという切実な願生のおもいが起こってこないということです。このようなことで、
はたして念仏往生の教えにかなっているのだろうかと問いただしているわけです。
 ところで、こうした不審を、切実な問題としてもっている唯円房の心情をまず理解しておかねばなりません。
彼はなぜ、こうしたことに不審を感じなければならなかったかがわからなければ、聖人の応答も正確には理解できないからです。

▼よろこぶべきこと

 『大無量寿経』の終わりに、釈尊が、この経の法義を要約して、後継者である弥勒菩薩に委嘱される「付属流通分」があります。
そこに、
     仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。
     まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。このゆゑに弥勒、
     たとひ大火ありて三千大千世界に充満すとも、かならずまさにこれを過ぎて、この経法を聞きて歓喜信楽し、
     受持読誦して説のごとく修行すべし」

といわれています。
 『大無量寿経』とは、南無阿弥陀仏のいわれを、本願の始終をもってくわしく説きあらわしていく経典ですから、
その経説を要約すれば本願の名号におさまります。そこで釈尊は、この名号を信受し、称念せよとすすめたまうのです。

 南無阿弥陀仏というみ名を聞いて、私を救いたまう如来がいますと信知し、天地におどりあがるほどの喜びをもって、
わずか一声でもみ名を称えるものは、この名号にこめられている阿弥陀仏の徳のすべてを身に宿され、
必ず仏陀になれるというすばらし利益をさずけられる。それゆえ、
たとえ三千大千世界に満ちるほどの火の中をくぐりぬけてでも聞き信受(しんじゅ)しなければならない教法であるといわれるのです。

▼火をもすぎゆきて

 親鸞聖人は、そのこころを『和讃』に、 
     阿弥陀仏の御名を聞き  歓喜讃仰(かんぎさんごう)せしむれば
     功徳の宝(ほう)を具足して 一念大利無上なり
     たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
     仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり

とたたえられました。
 燃えさかる猛火をくぐり抜けても聞かねばならない教法とは、それに遇えたならば、
たとえそのために死んだとしても悔いがないというほどのことがらをあらわしています。孔子も「朝に道を聞かば、
夕べに死すともかなり」といっています。本願の名号は、それを聞きえたものの生を充実せしめ、
死にも豊かな実りをあらしめたもう真実の法でした。それゆえ、この法に遇いえたものは、この世にはさまざまな悲しいこと、
つらいこともあったが、しかしお念仏にあわせていただいたこの身には、ありがたい一生でしたと、
合掌して死んでいけるような境地を開いてくださいます。それほどの価値をもった真実の法にあわせていただいているのですから、
念仏者は、まさに経に説かれたとおり天におどり地におどるほどの「踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)」の思いがあってしかるべきでしょう。
それなのに現実の自分には、それほどの喜びが湧き起こってこないのはどうしたことなのだろうかというのです。
それは真剣に教えを聞き、教えのとおりになろうとする人だけが感知する教法と自身との不気味な間隙(かんげき)だったのです。

▼浄土を願う

 また浄土に生まれしめるということは、死を暗黒の亡びとおもう心を破って、生死一如といわれる永遠な「いのち」
の実現を約束されることでした。そしてまた、みにくい愛欲が消え、燃えるような怨憎の想念も滅して、
大空のような広々したこころの視野が開け、大悲の心をもってすべての人々を無条件に包んでいく怨親平等のさとりの
実現を意味していました。 
 浄土を願うものには、生死するものの不安と悲しみがあり、愛憎に狂うわが身への痛みがあります。
それゆえに生死(しょうじ)へのとらわれがなくなり、愛憎(あいぞう)の想念が寂滅(じゃくめつ)するといわれる浄土の実現を
一刻も早くとおもうべきでしょう。それなのに現実の自分は、煩悩と業苦に満ちたこの世に愛着し、
いそいで浄土へ生まれたいという心も起こってこないのです。
 こうした矛盾にみちた心の内を正直にさらけだして聖人に問いただしていく唯円房(ゆいえんぼう)のすがたには、
一点のごまかしもわが身に許さない厳しさがありました。

▼親鸞もこの不審ありつるに

 その唯円房に、聖人の意外なお答えがかえってきました。
 「親鸞もそれをいぶかしく思っていたが、唯円房、そなたも同じ心であったか」といわれたとき、
彼の問いを他人事としてではなく、ご自身の問題として引きうけてくださる聖人に、唯円房は驚きと、親しみと、
敬意を感ぜずにおれなかったことでしょう。そこには高い姿勢で弟子を導こうとする師のすがたはありません。
同じ煩悩の大地に立って、同じ煩悩の病にさいなまれている凡夫として、痛みを共感しながら救いを
たしかめあっていこうとする御同行のすがたをはっきりと見てとることができます。「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」
といわれたのもこうした姿勢から自然にでてきた聖語でした。
 親鸞聖人はさらにことばをつづけて「よくよく考えてみると、天におどり地におどるほど喜ばねばならないことを、
そのように喜ばないわが身を思うにつけても、いよいよ往生は一定の身であると思います」といわれました。
 喜ぶべき救いの道を恵まれていながら、それをまともに喜ばないという、どうしようもない恩知しらずな、浅ましいこの身こそ、
まさしく救済のおめあてであったと領解(りょうげ)し、そこに救いの確かさを味わっていくといわれるのです。
それは恐ろしいほど鋭くとぎすまされた逆説です。しかし阿弥陀仏の大悲の本願を煩悩の身をとおして聞き開く信心の境地は、
こうした逆説でしかあらわすことのできないものだったのです。
 ここで聖人は、「よくよく考えてみると‥‥‥」といわれています。文章として読んでしまえば何でもないようですが、
実際の対話では、ここで長い沈黙があったのではないでしょうか。唯円房の問いを、わが身に引きうけて、
みずからの内面に沈潜していかれる深い沈黙の時が流れたことでしょう。二人を包む緊迫した沈黙が、やがて破れて、
静かに語り出されたとき、救われようのない愚かなものが、
そのまま包まれている絶対無限の大悲の妙境界が開けていったのでした。
 「喜ぼうとする心を抑えとどめて喜ばないのは、煩悩のしわざです。しかるに仏は、
このような私であることをかねてからお見とおしの上で、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫を救おうとおおせられているのですから、
他力の悲願は、このように浅ましい私どものためであったと気づかされてますます頼もしく思われます」
とその心をのべられるのでした。

▼仏かねてしろしめして

 本願の念仏という無上の徳を恵まれていながら、それにふさわしい喜びが湧いてこないというのは、
本気で救いを求めていないからだ、といわれれば一言もありません。たしかに世俗の地位や名誉や利害損得には、
鋭敏すぎるほど敏感に反応し、名利をうれば、文字通りおどりあがって喜び、
名利がそこなわれたときは身も世もないほど悲嘆していくのが、自分の現実のすがたです。どんなに高い地位も、名誉も、
権力も、財産も、ひとたび死の前にさらされたならば、ひとたまりもなく色あせてしまう空しいものに過ぎません。
しかしそんな空しい名利のために、昼となく夜となく血相を変えて奔走し、愛欲と憎悪を燃やし続け、人を傷つけ、短い、
ほんの束の間の人生を空しく過ごしてしまうのが人間だとすれば、まことに無残な存在であるといわねばなりません。
 私は今はじめて、自身の愚かさに気づいたのですが、しかし如来は、私が気づくよりもずっと前に、
私が思っているよりもずっと深く、わたしの愚かさを底の底まで見とおしておられたのでした。
阿弥陀仏が久遠の昔に大悲の誓願をおこされたというのは、この痛ましい煩悩具足の凡夫のすがたをみそなわしたからでした。
 「煩悩具足の凡夫」とは、こうした悲しむべき存在であるわたしどもに、大悲をこめてよびかけられた仏語だったのです。

▼仏にそむくもの

 凡夫とは、世俗に埋没(まいぼつ)して、愛憎(あいぞう)の情念に振り回されながら生きるだけでなく、
そこから脱出しようという気も起こらず、むしろ煩悩を浄化し、名利を離れて真実に目覚めようと教えたまふ仏陀のみ教えに、
はげしく拒絶反応を示すような存在なのです。
 それゆえ凡夫とは、いつも真実の光に背をむけて、闇から闇へと向かっていく性分をもったものであるというべきでしょう。
私を真実の世界へかえらしめようとして喚びかけたまう如来の教説を聞きながらも、つい上の空になり、
喜ぶべき尊いみ教えを喜ぼうともせず、煩悩の泥沼の中を逃げまどうていくのは、この悲しむべき凡夫の性のゆえです。
 しかし如来に対する反逆性を性分とし、地体としている凡夫とは「わたし」であったと思い知ったのは、教えに遇い、
法に呼びさまされたからにちがいありません。闇は闇を照らすことができないから闇であるように、
凡夫は、自分の凡夫であることすら知らないから凡夫なのです。その凡夫が「われは凡夫なり」と気づいたのは、
実は仏のみ教えがひびいて来たからです。唯円房が、念仏を申す身になって、はじめて、教えのとおりになれず、
如来に反抗しつづけている自身を悲しむべきものと気づいたのが、まさにそのことをあらわしています。
その意味で自身の悲しむべき凡夫性に気づいているということを自体が本願の大悲に包まれているしるしであるともいえましょう。

▼慈悲は罪業の中から味わう

 親鸞聖人は『歎異抄』の後序に、その大悲の本願をわが身のうえに味わって、
      弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。
      されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、
      たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ

とおおせられたことは有名です。「阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)であらせられたとき、
私どもの救いの道を選び定めるために五劫ものあいだ考えられたという本願をよくよく味わってみると、
それはひとえに罪深い親鸞一人のためであったのだ。されば、それほど深い罪業(ざいごう)の身であるのを
救おうと思い立ってくださった本願であることは、何というもったいないことであろう」といわれるのです。
ここでも「よくよく案ずれば」といわれています。『歎異抄』では、この二箇所で「よくよく考えてみると」
という言葉が用いられているわけですが、いずれも、自身の煩悩の底知れぬ深さに思いをはせながら、
その罪業の身の上に深々とかけられている阿弥陀仏の大悲をかみしめておられる法語でした。
 先哲は、「信は仏返に仰ぎ、慈悲は罪悪の機の中に味わう」といわれています。信心は自分の心の中にさがすのではない。
「必ず救う」とおおせられる本願招喚のみことばを聞き、救いのお手元のたしかさを仰ぐことです。反対に如来の慈悲は、
如来のがわに仰ぐのではなく、わが身の煩悩罪障のなかに味わうのだといわれているのです。
ここに「煩悩具足の凡夫を救うとおおせられていることですから、他力の悲願は、
このように浅ましい私どものためであったと気づかされてますますたのもしく思われます」といわれたのは、
まさにわが身の煩悩のなかで、大悲の如来にあらわれた言葉でした。如来はつねに煩悩のなかにまします。
それゆえ如来にであう場所は、日々の煩悩の生活の真直中だったのです。

◇凡情をつつむ大悲の願
念仏者の中には、煩悩と業苦にみちたこの世をいとい、一刻も早く浄土に生まれ、
さとりを完成したいと願う浄土願生の行者がおりました。かれらは、「道心者(どうしんしゃ)」とか「後世者(こせしゃ)」
とよばれ、念仏三昧の日々を送る人たちでした。しかし、煩悩具足の私たちにそのような生活を送ることができるでしょうか。
今回は、生も死もあるがままにとらえようとした聖人の生死観をうかがい、
それゆえめぐみあたえられた弥陀の悲願を味わわせていただきましょう。

▼凡情のままに

 唯円房が、「いそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらん」と親鸞聖人にたずねたとき、
彼の念頭には、敬仏房や顕性房のような後世者たちの言行が思いあわせられていたにちがいありません。
おそらく後世者たちならば、「それはそなたがほんとうに穢土をいとう思いがなく、浄土をねがう心がおろそかだからだ」
と答えたでしょう。しかし親鸞聖人のお答えは予想外でした。
   浄土へいそぎまゐりたきこころなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、
   煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、
   いまだ生れざる安養浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。
   なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、
   かの土へはまゐるべきなり。いそぎまゐりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり

というのがそのお答えでした。そこには煩悩のわが身をしかと見すえながら、
その身のうえに大悲本願のみ心を味わっていかれる聖人の透徹した領解が展開されています。
 清らかなさとりの境界を慕い求める思いが浄土願生の心であるならば、愛憎の煩悩に狂う苦悩の人生を、
一刻もはやくはなれて、浄土へと心がかたむいていくのが道理でありましょう。
念仏者でありながら住みなれたこの世にはなれがたく執着し、いささかの病でもすれば、
もしや死ぬのではあるまいかと心細く思い、浄土が近づいたとよろこぶような心境になれないというのは、
まさに道理に背いた背理の妄念です。しかしそのような妄念に閉ざされているのが凡夫の情でした。
 敬仏房は、「道理を強く立てて」、背理の妄想をねじふせていくのが「道心」であるといっていますが、
親鸞聖人は、自身のどうしようもない背理(はいり)の妄念(もうねん)を悲しみつつも、
凡情のままを摂取したまう本願の大悲に身をゆだねるのが信心であるといわれるのです。
 いつともしれない久遠の昔から流転(るてん)しつづけてきた娑婆には、苦しいことのみが多いと知りながら、
なお捨てきれぬ愛着をもって懐かしみ、まだみぬ浄土は、煩悩の寂滅(じゃくめつ)した安らかな涅槃の境地であり、
永遠な「いのち」の故郷であると聞かされても、それを慕う心が起こってこないというのは、
煩悩に狂わされた凡情の身といわねばならぬ。しかしどんなに生き続けたいと願い求め、この世に未練をおしんでみても、
娑婆(しゃば)にあるべき縁が尽きたなら、いやおうなく死を迎えねばならない。力なくこの世を終わっていく、
そのときこそ、悲願の浄土へ生まれさせていただこうではないか。一刻も早く浄土へと願うような殊勝(しゅしょう)な心のないものを、
ことに哀れみたまうのが如来の大悲心だと私は聞かせていただいているといわれるのです。
そこには見事なまでに、凡情のままの救いがたしかめられていました。

▼大悲大願はたのもしく

 たしかに敬仏房たちがいうように、世俗の名利はくだらないものでしょう。しかし空しい名利をあこがれ、
権力をうらやみ、財を貪ることを生きがいとしているのが世間の凡俗なのです。ただその生きがいが、
凡情のえがいた幻にすぎない証拠に、いのちがけできずきあげた名誉も財産も、
そればかりか愛するものたちまで確実にこの身から離れてしまうときが必ずくるのです。道心の篤い後世者たちは、
道理を強くたてて名利を思いすてる「世捨て人」ですから。愚かな凡俗は、大事にしがみついてきた世俗の名利にも見捨てられ、
引き離されて、未練を残しながら死をむかえねばならぬ「世捨てられびと」でした。
すべてに見捨てられて空しく死を迎える愚かな凡俗を、限りなくあわれんで、
見捨てることなく救おうと願いたまう大悲のみ親が阿弥陀仏でした。それゆえ「摂取して捨てたまはず。
ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつる」のです。その如来のみ心を親鸞聖人はここに「いそぎまゐりたきこころなきものを、
ことにあはれみたまふなり」といい、
    これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じ候へ。踊躍歓喜のこころもあり、
    いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候ひまなし

といいきっていかれたのでした。
 愛憎の煩悩にたぶらかされて、いそぎ浄土へまいろうと思う心もおこらない浅ましいわが身に気づくならば、
その身をなげくよりも、かかる身を捨てぬとおおせられる大悲の本願のたのもしさをあおぎ、
「わが往生は一定なり」と思いとるがよい。もしも念仏するごとに、躍り上がるほどの喜びもあり、
急いで浄土へまいりたいものだと思う心がおきたならば、私には煩悩がないのじゃなかろうか、こんな筈ではないのにと、
かえっていぶかしく思うではないかと仰せられたのでした。

                                                          梯 実円 先生

  ホーム