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報徳寺の活動は、以下の場所で行っています。
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所在地
〒649ー6323
和歌山県和歌山市井ノ口105番地
℡ (073)477ー0830
Fax (073)477ー0830
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アクセス
●近畿自動車道(阪和自動車道)和歌山IC下車東へ10分
●JR和歌山駅東口よりタクシーで約15分
●JR千旦駅より徒歩10分
●開門 6:30 閉門 18:00(冬季11月~4月17:30)
●晨朝(朝のお勤め)は毎朝午前7時より お勤め『正信偈』六首引き又は『讃佛偈』 皆さまのお参りお待ちしております。 |
開基なり昔は眞義真言宗高野派たりしなり。 延喜(902)の頃、御位に座します御方の霊夢に感ぜられた中納言藤原祐澄を高野山に遺された。 黄皮色の御衣を大師の廟に賜う。祐澄の時、奇異の現象に遭遇し歓喜の涙袖を絞り帰依渦御の余り直ちに剃髪して法名を祐澄と改め帰りて朝廷に湊聞しなければ天悦又浅からず三面感山感心院祐澄と号を下し賜う。 「根来実浄院所蔵(延喜二十二年の文章)」
祐澄は直ちに佛間を造営し阿弥陀如来を安置して、延長六年(928)二丁四方の地を賜り 七堂伽藍造営せしと言う。 かくて幾多の星霜を経て元弘元年(1331)兵火にかかりて當寺も焼失し僅に本尊を灰爐の中に全くするを得たりという其の後二間の本堂を再建し佛体を安置し根来実浄院の管理に帰せり。
後小松の御字井の口村の湯口左右衛門太夫行経の二男右衛門太夫行正なるもの深く佛教に帰依し、京都佛光寺において得度し法名を法観と号し応永年間(1394)當寺を井の口村に再建し浄土真宗に属せしが天正十年(1582)に兵火(織田信長)の炎にかかりて再び焼土となれり。
翌十一年南出(現在地)に再建し三面山阿弥陀堂報恩寺という。
享保十四年寺号改め三面山報徳寺と称せり。浄土真宗に改宗してから現住職で、第28世になります。
役 職 | 名 前 |
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住職(代表役員) | 長谷川義昭 |
坊 守 | 長谷川美千子 |
総 代 | 若野善一 井口俊雄 木村昭 |
婦人部会長 | 土井冨士子 |
上の写真は玄関先 左の写真はお座敷の床の間 |