本願に遇えた喜びを行動に                             

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  • 宗祖親鸞聖人
  
本願寺の特別法要・行事


  • 「重点プロジェクト基本計画」策定について

    宗門では、本年4月1日より、これまでの基幹運動(門信徒会運動・同朋運動)推進の成果を踏まえ、「宗制」に掲げる基本理念を体し、あらゆる人びとが「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する」活動として、「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)を推進しています。(総合基本計画参照)

     このたび総局は、「実践運動」の目標を広く共有するため、「総合テーマ」を掲げ、この「総合テーマ」をもとに、宗門全体で推進する「重点プロジェクト基本計画」を策定しました。

     今後3年間は、この基本計画をもとに、宗門を構成する一人ひとりが社会貢献をめざして、宗門内外の人びととつながりながら、それぞれの地域性や特性を活かした具体的な社会活動を実践していきましょう。




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    お経拝読の心得

    ●聞法第一
     浄土真宗は「難しくてよくわからん」と、よく耳にします。
     一般的に神社やお寺にお参りするとき自分の思い、気持ちを仏や神に差し向けようとします。その結果ご利益を頂くというのがわかりやすい教えと思っている方も多いと思います。また、人から聞いたことなどいろんな情報を自分なりに分析して「これが仏教だ」と、思い込んでいる人も少なくありません。要するに自分中心で自らの思いを祈り、聞いてくれたり願いを叶えてくれる仏や神は解りやすく自身も心地よく思えます。はたしてそうでしょうか。仏さまに自分のことばかり述べ、仏の呼び声を聞かなかったら毎日が不安で不安で仕方ないのではないでしょうか。親鸞聖人は「我々は不純な心、よこしまの心しか持ち合わせていないから、自分に都合のいいことだけを神さまや仏さまに祈ったり、願をかけたりするのは、正しい宗教ではない。」「むしろそういう自分さえよければよいと、自分に幸福を呼び込もうとするような私や、人間の本当の姿を知らせてくださる宗教こそ、真実の宗教であると説かれそれをお念仏の教えの中にみていかれました。お念仏は、こちらから仏さまにお願いし、祈るのではなく、仏さまの呼び声を聞かせていただくのです。「目覚めよ、自分の本当の姿に気づいてくれよ」と絶えず呼びかけてくださっているのです。
     お仏壇の前に座った瞬間、合掌した瞬間から自らの思いを言うのではなく心の眼(まなこ)を開いて「呼び声」を聞いてください。
     仏さまにすがるのではなく、厳しい現実を引き受けて、「そうでありましたか」と立ち上がって生き抜く道が、お念仏の道なのです。
     浄土真宗では、聞法第一としますから、み教えを聞くということが最も大切です。その第一がお経を聞くことです。先ほども申しましたとおり「お経は難しくてさっぱりわらんわ」と聞こうとしないとそのような言葉が出るのでしょう。仏様の前に座って『如是我聞』と続くお経を拝読したならばそれは自ら声を出して読んでるのではなく前におられる仏さまが私の声となって呼びかけてくださっているとあじわいます。
    そして意味がわからなかったら一句でもいいですから調べるなり、住職に聞いてください。
     それが「ご聴聞」です。それを繰り返していくうちに「そうであったか」、「私は大きな間違いをしていた」、と気づくことでしょう。
    〔聴聞の心得〕
    1、このたびのご縁は初事(ういごと)と思うべし
    1、このたびのご縁は我(われ)一人と思うべし
    1、このたびのご縁は今生(こんじょう)最後と思うべし

     このような思いで、人生の肝心要、仏法の要、『南無阿弥陀仏』(なもあみだぶつ)のいわれを聞かせていただきましょう。




     お経とは、お釈迦(しやか)さまがお亡くなりになつた後、その教えを正しく伝えるために、お弟子の方々が集まり、それぞれがいろいろな場所でお釈迦(しやか)さまから聞いた説法をまとめ、整理して残されたものです。そのため、お経は、「私はこのように聞かせていただきました」という意味の「我聞如是(がもんによぜ)」という言葉で始まります。お釈迦(しやか)さまは、人々の悩みや苦しみの病に応じて薬を与える「応病与薬(おうびようよやく)」という説法の仕方をされました。ですから、たくさんのお経があるのです。我が国では一切経として伝えられているのに、中国の明蔵(万瀝版)(ばんれきばん)を元とした黄檗版大蔵経(一切経)がありますが、これは1618部、7334巻という数になっております。親鸞さまの師匠であった法然(ほうねん)聖人さまは、このたくさんのお経の中から、お釈迦(しやか)さまが私たちのような迷いの中で苦悩する凡夫のために説かれたお経として、三つを選ばれました。それが、
    『浄土三部経』
    『仏説無量寿経(ぶつせつむりようじゆきよう)』
    『仏説観無量寿経(ぶつせつかんむりようじゆきよう)』
    『仏説阿弥陀経(ぶつせつあみだきよう)』



    第十八願
     設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 
     若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法
      (原典版二二頁)
     
      たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽(ししんしんぎょう)して、
      わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念(ないしじゅうねん)せん。もし生ぜずは、
      正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法(ひぼうしょうほう)とをば除く。   (注釈版一八頁)

    第十八願成就文
     
    諸有衆生 聞号名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向
     願生彼国 即得往生 住不退転 唯除五逆 誹謗正法  
    (原典版五二頁)

    あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜(しんじんかんぎ)せんこと、乃至一念(ないしいちねん)せん。
    至心回向(ししんえこう)したまへり。かの国に生まれんと願ずれば、すなはち往生を得(え)、不退転(ふたいてん)に住(じゅう)せん。ただ五逆(ごぎゃく)と誹謗正法(ひほうしょうぼう)とをは除く。 (注釈版四一頁)

『讃佛偈』『さんぶつげ』(嘆仏偈)
 親鸞聖人は、数あるお経の中で『仏説無量寿経』こそが「真実の教」であると、お示しになりました。それは、この私の「すくい」が説かれているから、「真実」であると仰せになっておられます。
 このお経の中にある『讃佛偈』八十句の偈(讃歌)で、阿弥陀さまが法蔵菩薩であったとき、師仏である世自在王仏のお徳を讃え、「どれほどの苦労があろうとも、すべてのいのちをすくうことができなければ決してさとりを開かない」という誓いが述べられています。
 法蔵菩薩が師仏のお徳をほめ讃えておられるので『讃佛偈』といい、「嘆仏偈」とも呼ばれています。

『重誓偈』『じゅうせいげ』(三誓偈)
 『仏説無量寿経』には、法蔵菩薩の誓いが、四十八の願で示されています。さらにその要点を四十四句の偈(讃歌)をもって重ねて誓われましたので『重誓偈』とも、誓いが三度重ねられていますので「三誓偈」とも呼ばれています。
 ここでは「南無阿弥陀仏とその名前をもって、すべてのいのちに至り届き、あなたと一緒にその人生を共に歩み、南無阿弥陀仏のはたらきによって、あなたを浄土に生まれさせることができなかったならば、決して仏にはならない」と再度誓ってくださっているのです。

『正信偈』『しょうしんげ』
 親鸞聖人が、著された『顕浄土真実教行証文類』(教行信証)六巻の中の行巻の終わりにある讃歌です。正しくは『正信念仏偈』といいます。
 そこには百二十句からなる偈で、聖人自らいただかれたご信心を述べ、、その心はただ阿弥陀さまの願いとはたらきであることを『仏説無量寿経』によってあきらかにされ、続いてそれは七人の高僧方のおさとしであることを述べ、最後に共にこの尊いみ教えに生きていこうと呼びかけてくださっています。まさに浄土真宗のまことを簡潔に説かれた大切なものです。

『和讃』『わさん』
 親鸞聖人が、阿弥陀さまからいただいたご信心を喜ばれ、お徳を讃えられた和文の讃歌です。これを「浄土和讃」「高僧和讃」「正像末和讃」にまとめられたものが、『三帖和讃』と呼ばれています。
 『正信偈』とともに和讃を読みます。基本的には「浄土和讃」の最初から順番に六首ずつ読みます。

『十二礼』『じゅうにらい』
 七高僧の第一祖であるインドの龍樹菩薩が、十二偈の詩の形式で阿弥陀さまをお敬いしお讃えされたものです。阿弥陀さまのお徳とお浄土のすばらしさをほめ讃え、特に最後はこのよろこびを人びとと分かち合い、往生浄土を共にしたいとのお心で結ばれています。 
 

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