ご法事や月参りでのお勤めの後、独特の節回しで拝読される御文章をこうべをたれて拝聴しているとき、何ともいえない安堵感(あんどかん)がからだのなかに湧き起こってくる、という思いをされたことはないでしょうか。それほど御文章は私たち真宗門徒のこころのなかに染みこんでいるということができるでしょう。このセミナーでは、『五帖御文章(ごじょうごぶんしょう)』のなかから、日常の仏事でよく拝読される御文章をとりあげ、そのこころを講じていただくことにいたします。

※学習のポイント
 
(1)どうして信心ひとつで往生できるのか、また称名することが報恩といわれることについて考えてください。
 (2)浄土真宗におけるこの世での利益について他宗教を視野に入れながら話し合ってみましょう。
 (3)『御文章』の学びについて、この機会に蓮如上人の生涯をもあわせて学習しましょう。

【註釈版本文】
 聖人(親鸞)一流の御勧化(ごかんげ)のおもむきは、信心をもって本とせられ候ふ。
そのゆゑは、もろもろの雑行をなげすてて、
一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたり往生は治定せしめたまふ。
その位を「一念発起入正定聚」と釈し、
そのうへの称名念仏は、如来わが往生を定めたまひし御恩報尽の念仏とこころうべきなり。あなしこ、あなかしこ。

【意 訳】
 親鸞聖人によって開かれた浄土真宗でお勧めくださる趣旨は、信心を根本とされています。
そのわけは、さまざまな雑行(ぞうぎょう)をやめて、ただ一心に阿弥陀如来におまかせすると、
心で思い言葉で尽くせない本願の力によって、仏の方から私たちの往生を定めてくださいます。
そのように往生の決まったことを曇鸞大師は「信の一念に、
まちがいなく往生し成仏することを定まる正定聚(しょうじょうじゅ)の位に入る」と釈されています。
そしてそのうえでの称名念仏は、如来が私たちの往生を定めてくださった御恩を報謝する念仏と心得ねばなりません。
まことに畏(おそ)れ多く尊いことであります。


★御文章はどんなお聖教ですか?

 蓮如上人は一代にして衰微していた本願寺を再興し、
動乱の中で力強い伝道教化によって浄土真宗の教えを全国にゆきわたらせてくださいました。
各地の門弟の要望に応えて真宗教義のかなめを平易な消息の形式で著されたのが『御文章』で、
それは文章伝道という新しい型の教化であります。
すでに宗祖親鸞聖人の『御消息』に示唆を得ておられたと考えられますが、一層それをすすめられ、
どんな人にも領解されるようにとの配慮のもとに、文章もかざることなく、俗語や俗諺までも駆使されて書かれています。
 上人はその生涯において多くの消息を人々にあたえられましたが、今日まで残るものは二百数十通であります。
多数の中から、とくに門徒教化の上から大切と思われるものの八十通を選んで五帖に編集したものが今日の『御文章』で、
『帖内御文章』ともいい、第九代実如上人のもとで抽出・編集されています。
 五帖のうち、第一条から第四条までは書かれた年月日の順になっていて、第五条には年月の記載のないものを集めています。
その詳細をみますと、
 第一帖…十五通(越前吉崎時代)
 第二帖…十五通(越前吉崎時代)
 第三帖…十通(越前吉崎時代)三通(河内出口時代)
 第四帖…四通(河内出口時代)五通(山科時代)六通(大坂坊時代)
 第五帖…二十二通
となっています。特に注意すべき点は、教団が飛躍的(ひやくてき)に拡大した越前吉崎時代のものがもっとも多く、
上人の精力的な教化が浮かびあがってきます。 
 浄土真宗の門信徒の家庭の仏壇に「御文章箱」が備えられています。
これをみても、門信徒は伝統的に『御文章』によって育てられてきたといえます。
私もまた本堂や門信徒の家庭での布教において、まず『御文章』を開いて、法話をし、
済めば「肝要は御文章」と言って、『御文章』を拝読してしめくくる、と先輩から受けついで続けてきました。
それは江戸時代以来の伝統の形式といえます。
 全体的な内容をうかがいますと、当時の浄土異流や宗門内で盛んであった
「善知識だのみ」「十劫秘事(じっこうひじ)」「口称正因(くしょうしょういん)」などの異安心(いあんじん)や異義を批判しながら、
信心正因・称名正因 の真宗の正義が力説されました。
 さて、五帖の『御文章』の中でも年月日の記載のない第五帖目は、
消息というより法語的色彩が強く、多くの人びとに特に親しまれています。
そこで今回のセミナーにおいても、これらを中心に、時には他帖にもおよんで聖教に親しむことにします。
なお、五帖の『御文章』から漏れたものを『帖外御文章』といいます。

▼真宗の要義を簡潔に表現したもっとも短い御文章

 この御文章は五帖八十通の中では最も短いものですが、真宗の要義が簡潔で適切に表現されていますので、
古くからもっとも親しまれてきた聖教のひとつです。「聖人一流の…」で始まりますので「聖人一流の章」と呼ばれています。
この御文章の制作については種々の言い伝えがありますが、制作年次が示されていないこともあって、
確実な根拠となるものを見出すことはできません。
 ただ文明三年の『帖外御文章』の中に、
    まず聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもて本とせられ候。
    そのゆへは、もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、
    不可思議の願力として仏のかたり往生を治定せしめたまふなり。
    そのくらゐを一念発起入正定聚とも釈したまへり。
    そのうへには、行住坐臥の称名念仏は、如来我往生をさだめ給ふ御恩報尽の念仏、と心得べきなり。
    これを信人決定の人とは申すなり
とあって、「聖人一流の章」と表現がほとんど変わっていません。
さらに帖外の文明七年三月二日の御文章は同類のものであることを考慮すれば、その制作年時を文明三年前後と見ることができましょう。
 この御文章は、蓮如上人が寛正元年七月三日、近江国金森(かねがもり)の道場でご教化の時、
お書きになって道西(どうさい)に与えられた、いわゆる御文章の最初であって(『御文来意鈔』)、
これ以後の四十年あまりにわたっての長いご教化は、この一通の意を開かれたもので、言い換えれば、
すべての御文章はこの一通に要約されるものと考えられます。
 さてこの一章は、「信心為本」を明らかにされたもので、内容を二段に大別して前半が安心、後半が報謝を説いています。
とくに安心をしめされる中で、はじめの「聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ」に一宗の特色が標示されています。つぎに「そのゆゑは」からは、信心為本の儀を説明して、もろもろの雑行などの自力のはからいをすてて、
疑いなく一心に阿弥陀仏を信ずれば、仏の願力のはからいとして、私たちの往生を定めてくださいます。
これを一念発起入正定之聚と解釈され、ただ阿弥陀仏を信ずることによってのみ往生が定まることを示されたのです。
また「そのうえの称名念仏は」からは報謝であって、信心をいただいた後の称名が報恩の行であることを明らかにされ、
「信心正因、称名報恩」こそ宗義であるとされて結ばれています。

▼信心為本の義を明らかに

 この御文章の大切なところは、信心為本の義を明らかにされる「信心をもつて本とせられ候ふ」のご文です。
これに似た表現は、その他の御文章でもいくつかありますが、とくに二帖目第二通では、
    開山聖人(親鸞)の御一流には、それ信心といふことをもつて先とせられたり
とあり、また二帖目第三通には、
    祖師聖人御相伝一流の肝要は、ただこの信心ひとつにかぎれり
としめされていますので、基本的に同じ意味と考えられます。
 浄土に往生するために、数多くの称名をしなければならないとか、読経を書いてはいけないとか、
供養が大切だ、などと、さまざまな善根を積むことを強調する人々がいましたが、
宗祖親鸞聖人は、それらをすくいの条件としないで、ただ信心ひとつで救われることを明らかにされたのが「信心為本」です。
ここで「本」とは、法然上人の『選択集』の「往生之業、念仏為本(先)」を受けられた語で、
先にしめした御文章の「信心といふことをもつて先とせられたり」と同じ意味です。
 そして「弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばず、ただ信心を要とすとしるべし。
そのゆゑは、罪悪深重(ざいあくじんじゅう)・煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)の衆生をたすけんがための願にまします」(『歎異抄』)第一条、
とありますように、阿弥陀仏のお救いの法を信ずるばかり、としめされるのが「信心為本(しんじんいほん)」なのです。
 信心をいただいた人は、必ずその口から念仏がでることを誓われたのが第十八願の意ですから、
説いてくださる語は「念仏為本」と「信心為本」と別であっても、その意味は同じであることを心得ておかねばなりません。
 ところで、どんな宗教においても信心が強調されますが、その内容はじつにさまざまです。
俗に「鰯の頭も信心から」との言葉で、信仰するとどんなつまらないものでもたいへんありがたく思えるようになる、
との意味で使われていますが、まことの信心は、これとは異質のものです。
 浄土真宗においての信心は、南無阿弥陀仏のいわれを聞いて、疑うことなく、仏のおおせにまかせたことを信心といいます。
それを明らかにされるのが『大経』の第十八願成就文の、
    あらゆる衆生、その名号を聞きて、
    信心歓喜せんこと乃至一念せん

の文です。親鸞聖人は、この文を解釈されて、
    しかるに『経』(大経)に「聞」といふは、衆生、
    仏願の生起本末(しょうきほんまつ)を聞きて疑心あることなし、これを
    聞といふなり。「信心」といふは、すなわち本願力回向の
    信心なり。「歓喜」といふは、心身の悦予を形(あらわ)すの貌(かおばせ)なり。
    「乃至」といふは、多少を摂するの言うなり。「一念」
    といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ。これを一心と名づく

と述べておられます。ここでは「名号を聞く」とは「仏願の生起本末を聞く」ことであります。
仏願の生起とは、罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の私が今ここにいるからで、
本末とは、その私をめあてに阿弥陀仏が本願をおこされ、その実現のために長い期間におよぶ思惟(しゆい)と修行をつづけられ、
すでにそれをしあげて、今、私をよびつづけておられる、ことを聞くのであります。

▼仏の真実心と慈悲心の入り満ちた信心

 親鸞聖人ご自身が、まことの心のない自己のすがたに気づかれ、その立場において第十八願の文について解釈されています。
    設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念
    若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法
    
たとえわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。
    もし生ぜずば、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く

としめされています。ここで信心を表現される言葉は「至心(ししん)・信楽(しんぎょう)・欲生我国(よくしょうがこく)」で三心といいます。
これらの関係について親鸞聖人は詳細に論じておられます。
 そこにおいて「至心―まことの心―」とは人間の心をさすのではなくて、仏の真実心(智慧)であることを明らかにされます。
 また「欲生―浄土に生まれようと願う心―」も私たちにはなくむしろ、
    久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、
    いまだ生まれざる安養浄土はこひしからず候ふ

のように、かえって浄土に生まれたくないのがお互いの心であります。
そこで、この「欲生」も阿弥陀仏が衆生をまねきよぶ心である、として仏の慈悲心と示されます。
 この至心(智慧)と欲生(慈悲)とが南無阿弥陀仏の名号となって私たちに与えてくださるのですから、
そのはたらきにまかせて疑うことのない心がめぐまれるのであり、それを「信楽(しんぎょう)」とされるのです。
 そこで三心といっても「信楽」の一心におさまることになり、仏のすくいにまかせる信楽の一心こそ、
仏の智慧と慈悲の入り満ちてくださった広大な徳のある信心であることを教えてくださいます。
要するに、浄土真宗の信心は、どこまでも仏のおすくいの法を信ずるばかりです。

                                                           清岡 隆文 先生
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