親鸞聖人は、私たちに浄土真宗の教えを広めるために、さまざまなご努力をされました。その代表的なものが、ご和讃によるご教化です。聖人を想いそのもとに集う人々に対して、聖人は、よりわかりやすくおぼえやすいということを念頭におかれ、当時の流行歌である今様の形式で『教行信証』の要義を説かれました。このセミナーでは、聖人の代表的な和讃である『三帖和讃』のなかから『正像末和讃』をとりあげ、そのおこころをうかがっていくことにいたします。


『正像末和讃』はどんなお聖教ですか?
◇親鸞聖人の和讃の特徴
和讃は、和語をもって仏・法・僧を讃(たた)える仏教讃歌です。平安時代より作られました。
 その形式は七五調で、一句は十二字となり、四句を一章とするものが多く、特に親鸞聖人の和讃は、
すべて四句一首の形式になっています。
 ところで、各宗の宗祖と慕われる方々の中で、親鸞聖人はもっとも多くの和讃をつくっておられます。
そのかずは五百首をこえます。『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』(まとめて『三帖和讃』と呼んでいます)のほかに、
聖徳太子を讃えられた『皇太子聖徳奉讃』『大日本国粟散王聖徳太子讃』があります。
 これらの和讃の多くは、典拠となる文言があり、仏恩・師徳を讃え、さらに、み教えにあい得た喜びや、
ご自身の姿を告白される宗教感情に溢れる内容となっています。
聖人ご自身が「やわらげほめ」と『浄土和讃』の「現世利益和讃」の題目に註釈されています。
深い聖教の内容を、少しでもわかりやすく表現し、讃えられたのです。
その他、聖人の和讃には、その右に読みをあらわす「振り仮名」をつけ、字句によっては左側に、
ほとんど片仮名でその意味が書き加えられています。
漢字には、どのように発音すべきかという四声(平声・上声・去声・入声)が記入されています。
これは清濁・緩急・抑揚などを示す記号で、聖人をはじめ門弟の方々が和讃を唱和したことが知られます。
これは、聖人ご自身聖教のむつかしい内容をわかりやすく解釈され、
多くの人びとに伝えていくために和讃を制作されたというだけではなく、聖人もまた門弟とともに和讃を唱和され、
み仏のよび声を聞いていかれたとみることができます。

◇『正像末和讃』について

 まず『正像末和讃』がどのように成立したかを述べたいと思います。
先述の『三帖和讃』のなか、『正像末和讃』は真筆本や書写本の題号に『正像末法和讃』とあり、
八十五、六歳の時にまとめられたものです。現在、高田派の本山専修寺には二本が所蔵されています。
ひとつは国宝に指定された真筆本であり、ひとつは顕智上人の書写本です。
国宝本は、はじめの九首が聖人の真筆と認められています。
その他、八十五歳の時に感得された「夢告讃」を含め、全部で四十一首の和讃が収められています。
これらの大部分は、整備された顕智上人の書写本に収められています。
顕智上人書写本は、はじめに、新しく『般舟讃』の文が引かれ、次に先述の「夢告讃」が置かれています。
さらに「正像末法和讃」五十八首、「愚禿述懐」二十二首と「愚禿悲歎述懐」十一首を合わせた
「愚禿悲歎述懐」三十三首が収められています。そして巻末に「正嘉二歳九月二十四日、親鸞八十六歳」とあります。
聖人が八十六歳の九月に書き上げられたものを、顕智上人が書写されたということがわかります。
この書写本を高田派では、初稿本と呼んでいます。
 以上述べたように、聖人の真筆によって書かれたり門弟の書写された、現存する『正像末和讃』は2本ですが、
もっとも古い刊本は、文明五年に蓮如上人によって開版されたものです。
「正信偈」とともに『浄土』『高僧』両和讃を含み、四帖一部として出版されました。
新に各首の和讃二十四首と、「獲得名号自然法爾」の法語が増補されています。
法語には「親鸞八十八歳御筆」と記入されてあります。この記入に疑義があるとしても、何かの依りどころあったと考えられます。
 「自然法爾」の法語は、すでに聖人八十六歳と記された顕智上人の聞き書きされたものが、専修寺に所蔵されています。
この法語が、他の人びとに書写されたことも考えられます。
これらを考えあわせますと、『正像末和讃』は、八十八歳の最晩年にいたるまで推敲加筆されたとみることができます。

【註釈版本文】               【意  訳】 
 弥陀の本願信ずべし            弥陀の本願のいわれを聞信する身となりなさい
  本願信ずるひとはみな           本願のいわれを聞信(もんしん)する身となったすべての人
  摂取不捨の利益にては、         いま、かぎりなき光の中に摂め取られる
  無上覚をばさとるなり            利益をうけて、命終には、この上もない悟りを得るのです。


◇末法濁世の中でのお勧め

 この一首は、「夢告讃」ともよばれ、聖人がうけられた和讃の夢告を記されたものです。
『正像末和讃』全体の要旨(ようし)をあらわす和讃であります。
先述のように、『正像末和讃』をはじめてまとめた真筆本には、三十五首の和讃を述べた後に、この「夢告讃」があり、
「この和讃をゆめにおほせをかふりてうれしきにかきつけまいらせたるなり」と添え書きがあります。
次第に『正像末和讃』が整えられ、顕智書写本でも文明版でも、この一首は冠頭に置かれています。
この添え書はありませんが、そのお気持ちは変わりません。
「ゆめにおほせをかふりてうれしさに」と感激をもって夢中に感得(かんとく)された和讃を書き記されたことが知られます。
その夢がさめても明確に文言が記憶に残り、その深い内容を繰りかえし、声にも出し、記録されたことがしのばれます。
お勧めは聖徳太子であるか釈迦如来であろう、と説かれる先哲もありますが、聖人ご自身は、そこまで明瞭に記しておられません。
誰方であっても深く感動されたことがしのばれます。
 「弥陀の本願信ずべし」と薦められる本願は、四十八願の中心である第十八願でありますが、
「御消息」には「弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまうひたるを、
ふかく信じてとなふるがためでたきことにて候ふなり」とあります。
末法、濁世の中にあって、ただ弥陀の本願を信ずべしとのお勧めであります。
しかも、本願を信ずる人は、今、光明の摂取の中にあって、仏となるべき身とならせていただいたのであります。
現生にまさしくさとりをひらくことのできる身とならせていただき、命終われば浄土に往生して、
ただちに仏とならせていただく(無上覚をさとる)のです。
 現生にも当来にも、大きな利益を得るのは、弥陀の本願のお誓いによるからです。
このみ教えの内容については、聖人の主著である『教行信証』にもくわしく述べられるところであります。
また、すでに成立している『浄土和讃』や『高僧和讃』の中で、くりかえし述べられるとことです。
しかしみ教えの中心の問題を、このなに簡潔にあらわし、それを夢告によって書きつけられたところに、
聖人の感激が大きく伝わってくる想がいたします。
 この一首の和讃には、これから拝読していく『正像末和讃』のすべての心がおさめられていることが想われます。
別の表現をすれば、この一首にあらわされたお心を、これから読みすすみますご和讃は、
さらに具体的に説き示しているとみることができます。

◇夢告を受けられた聖人の深いお心
 
 夢告を受けられた和讃を感激をもって書きとどめられたということに、現代の我々は疑問を感じます。
夢によって生き方を決めるのですか、と指摘される方があります。
 聖人の生涯において、夢はたいへん重要な意味をもっています。
二十九歳の六角堂に参籠された折には、九十五日目の暁に救世観音の示現にあずかり、
吉水の法然上人を訪ねる決心をされました。これも夢告といわれています。また恵信尼さまのお手紙によると、
聖人五十九歳の時、風邪をひかれて発熱し、四日ほど病臥された折、夢の中に『大経』のご文が一字残らず、
はっきりと見えました。十七、八年前に衆生利益のために三部経を千回読誦しようと思いたち、
これは自力の善根によって救いを求めるとこになると思いとどまり、それが今、夢の中に浮かび上がったのです。
自力の執心とは深いものです。と恵信尼さまに語られたことが綴られています。
その他、恵信尼さまもまた、聖人を語る思い出の中で夢のことを語っておられます。
 現代の宗教心理学などでも、深層心理の分析などを通して夢を分析して、その成果が発表されています。
その事になりきっていく、必死になって問いつめていく中に、
私たちの深い深い心の中のある部分の意識が夢となって表現されるとみることができると思います。
 聖人は、八十四歳の折に息子の善鸞師を義絶され、その苦悩の中で多くの著述をまとめられます。
この和讃もまた、その苦しみや悲しみの中でまとめられたとみることができます。
末法において、弥陀の本願を本当にこの身にうけとめるとは、どのようなことであろうか、もう一度、
み教えの根本を恩師法然上人に問いつづけられ、弥陀のよび声に問いつづけられる中で、
この夢告の和讃を感得されたとみることができましょう。
 念仏に聞き、念仏申す生活の中で、聖教を拝読し、著述に専念される日々においての夢告ですから、
学問的にいろいろ分析し、納得することもできましょうが、聖人の体得された結論が、夢告の和讃となってあらわれたのであります。
八十四,五,六,歳と人生の苦悩の中を生きぬかれながら、ひたすら念仏申しておられる聖人をしのばせていただき、
私たちもまたこの和讃の中より、素直にみ仏の意をうけとらせていただくことが大切なことでしょう。

◇「弥陀の本願信ずべし」との強いよびかけ

 次に「弥陀の本願信ずべし」と強いよびかけの表現となっています。この点について考えたいと思います。
それは、私たち一人ひとりに、ためらうことはない、ただ弥陀の本願を信ずることよりほかにない、という催促(さいそく)であります。
 「信じなさい、信ずれば救われますよ」と、一般にいろいろな宗教の勧めの中で信心が強調されますが、
聖人のみ教えは、一般に勧められる信心と異なる点をはっきりしておく必要があります。
 先に述べたように、広い、深い教義の大系があって、この和讃に結論が集約されています。
聖人は、本願を信ずるということは「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」の名号を聞くことであり、
救われがたい私が、大悲心のはたらきにより必ず救われることを聞かせていただくことです、と教えてくださいます。
また信心は、私が信ずるのではなく、み仏より与えられるのです。と示されます。
私や人間のほんとうの姿を聞かせていただき、大悲心を聞かせていただくことによって、
いままで気づかなかった深い広い生き方が知らされることになります。
それもまた、私の力によって知らされるのではなく、大いなるみ仏のはたらきによって知らされることになります。
結局、ただ念仏に聞き、念仏申すほかにありませんでした、というところに帰するのです。
「信ずべし」と強いうながしの表現のようですが、よく名号を聞くことによって、
ただ本願のはたらきにしたがうよりほかにない私であることが知らされます。大悲心を聞き、よび声にしたがう心を信心とあらわします。

◇収め取って捨てたまわず

 また本願を信ずる人は、摂取不捨の利益を受けると説かれています。
よく浄土教は死後を問題にするから、現在さまざまな悩みをかかえて生きる私たちには関わりがありません、と指摘される方があります。
しかし法然上人、親鸞聖人と継承されるみ教えは、今の救いを問題にしています。
 「摂取不捨」の言葉は、衆知のように『観経』に説かれています。
阿弥陀仏は無量の光の仏であり、念仏申す十方の人びとには、その光明に収め取られて救いにあずかると述べています。
法然上人はとくにこの文に注目し、『選択集』では「摂取章」を設けて、今、光の中にあり、
平生も臨終も問題にしないことをあきらかにされます。
あるいは、諸仏に護られ、諸仏は念仏往生の救いにまちがいないことを証明されることを強調しています。
 親鸞聖人は、これを受けて現生正定聚の利益を説き、しばしば聖教の各所で、摂取不捨の利益を説かれます。
『浄土和讃』の「弥陀経讃」に「摂取してすてざれば」に左訓があり、
    「ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追わえ取るなり。摂はおさめとる、取は迎えとる」
とあります。
これは有名な解釈で、多くの人に知られていますが、光明に摂取される利益とはどのような内容であるかをよくあらわしています。
「摂はおさめとる、取は迎えとる」とありますから、摂取の二字は、如来の大悲の強いはたらきかけによって、
今、光の中にあるということを示しています。「過去に救われました。これから、いずれ救われるのです」ではなく、
「今救いの中にあるのです」と強調しています。しかも「ひとたびとりて永く捨てぬなり」とは、それが永遠の救いであることをあらわします。
この光の中にある念仏者は、どのような生き方となるかを「ものの逃ぐるを追わえ取るなり」とあらわしています。
光の中にあれば、ますます私や人間の深い闇が知らされることになります。
逃げつづけている私を追わえとるのが、光明摂取の利益であります。
本願を信じるということは、今、念仏申す生活であり、どこまでも極重悪人の私が知らされることであり、
そのまま極重悪人の身が光明におさめとられているのです。
 弥陀の本願に帰して念仏申す生活は、ますます私の姿が知らされていくことであり、どこまでも「恥ずかしい、
自分中心のこの身でありました」ということが知らされてくることです。
光の中に生きる生活は、喜びの生活であるとともに、実に厳しい内省の生活でもあります。
 なお「摂取不捨の利益にて」とあります。今、摂取不捨の利益にある故に、無上のさとりが開かれることを示しています。
私たちが聖人のみ教えに聞き、聖教に学ぶということも生死の問題を乗りこえていく道を求めていくことです。
未来に仏になる道を求めて聞法するようですが、本願を信ずる身となれば、今、たまわる摂取不捨の利益のうちに、
仏になる道は開かれているということです。 

                                                             浅井 成海 先生
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