【本 文】


弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり


法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり

【現代語訳】

 阿弥陀如来が法蔵菩薩の昔、一切衆生を救いたいという願いをおこし、永い永い修行の結果、さとりを開き仏をなられてから、
釈尊が説法されたその時までに、すでに十劫という長い時間が経っている。
阿弥陀仏の成仏以来、その仏の御身より放たれる光は、限りなく、十方のいずこをも、また過去、現在、未来を通して、
どこでも、いつでも照らし続け、智慧のない私たちに信心の智慧を与え続けていてくださるのである。

【語 釈】 

①十劫  劫とはサンズクリットのカルパの音写で、インドの時間の単位の中で最も長い時間。
次のような例によって表現される。一つは、一返が四十里の磐石を百年に一度づつ天女が羽衣で払拭して、
この磐石がなくなる時間が一劫。
二つは、四十里四方の大城に芥子の実を満たし、百年に一度一粒ずつ取り去ってなくなってしまう時間を一劫という。
三つには、塵点劫という言い方もある。
②法身  普通、法身というのは、阿弥陀如来の報身、釈迦如来の応身に対して、宇宙の真如法性の理を法身というが、今はそれと異なる。今は法性法身から顕れ出た方便法身の弥陀の御身ということ。
③光輪  仏の光明を転輪王の持つ輪宝にたとえたもの。転輪王の持つ輪宝にたとえたもの。
転輪宝が行幸するとき、その車が山を砕き谷を埋めて平地となし、王の進む道を作るという。
このように如来の光明に照らされた人生を歩むものは、もろもろの人生の苦難にあっても浄土への人生を導かれる、
如来の光明のはたらきを転輪王の輪宝にたとえたもの。

【講 読】

 親鸞聖人は、曇鸞大師の作られた『讃阿弥陀仏偈』を『大経』と同等に見られ、これによって四十八首の和讃を作られ、
『讃阿弥陀仏偈和讃』と名づけられました。
 曇鸞大師の『讃阿弥陀仏偈』というのは、阿弥陀を讃嘆した偈文ということですが、
親鸞聖人はそこに説かれている阿弥陀仏の御身も、浄土の七宝樹林・八功徳水みなことごとく、
われら罪業深重の衆生を救うためのものであると味わわれたものです。
 そして浄土真宗の教えは、この阿弥陀如来のおさとりから流れ出てきたものであることを顕すために、
「三部経和讃」の前に『讃阿弥陀仏偈和讃』をおかれました。ですから『浄土和讃』も『高僧和讃』も『正像末和讃』も、
すべてその源は、阿弥陀如来のおさとりから流れ出たものであるということができるわけです。
 さて、「讃阿弥陀仏偈和讃」の最初の一首が先にあげた和讃です。阿弥陀如来が仏となられてから今までに、
すでに十劫という永い永い時間が経っている。その間も如来の御身からは、際限のないお光りを十方に放って、
世の迷いの衆生を照らしていてくださっている。
何ともったいないことであろうかと、如来の光明の中にご自身を見出された親鸞聖人のよろこびをうたわれたものです。
 親鸞聖人が命がけで求道されたことは『恵信尼消息』からも分かります。
「聖人が比叡山を出て、六角堂に百日お籠もりになって、九十五日目の暁に、聖徳太子の示現にあずかり、
やがて法然上人にお会いになり、また百か日、降るにも、照にも、どんな大事なことがあってもお訪ねになった」とあります。
このことからも、聖人の命がけの求道の姿が目に浮かんできます。
 けれども、いかに厳しい求道をしても、いや厳しく自己を見つめれば見つめるほど、煩悩のなくならないわが身が見えてくるばかりでした。
「まことに知らぬ、悲しきかな愚禿親鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、
定聚の数には入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷むべし 」と悲しまれています。
如来の大悲の中になりながら、かわいい、欲しい、大事にされたいの心がなくならないばかりか、
さとりに近づくことさえも喜ばない煩悩の姿を悲しまれています。
 この煩悩の根深さは、五十年、百年前からのものでなく、深い深い十劫もの歴史をもっており、
この煩悩の歴史にそって大悲がかけられたことを讃嘆されたのがこの和讃です。 

                                                                          黒田覚忍先生
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