◇末代無智の章
今回、取り上げていただく御文章は、五帖八十通の中でも大変短いお手紙のひとつですが、
ここには信証教義の骨子である信心正因・称名報恩の義を平易な言葉で簡単明瞭に示されています。
この信因称名が教義の淵源である念仏往生の誓願(第十八願)の意であることを明らかにされる
蓮如上人のおこころについて講じていただきます。

※学習のポイント
 (1)第十八願文を頭にいれた上で、なぜ信心一つで往生できるのか、また称名が報恩になるのかを考えてください。
 (2)「末代無智の在家止住の男女たらんともがら」の意味をもう一度整理してみてください。

【註釈版本文】
 末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにて阿弥陀仏をふかくたのみまゐらて、
さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、
たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来すくひましますべし。
これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。かくのごとく決定してのうへには、
ねてもさめても、いのちのらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

【意 訳】
 末代の世にあってまことの智慧なき在家の生活をしている人々は、
男女とも、心をひとつにして阿弥陀仏を深くたよりにいたしましょう。
そして決してそれ以外の仏・菩薩や余行などに心を振り向けることなく、
一心一向に阿弥陀仏におまかせする人々を、たとえ罪は深く重くても、阿弥陀如来は必ずお救いくださるのです。
これこそ第十八願に誓われた念仏往生のこころなのです。
 以上のように信心が決定(けつじょう)したうえは、寝ても醒(さ)めても、
いのちのある限りは、称名念仏すべきであります。あなかしこ、あなかしこ。

▼安心の内容をしめす

 この御文章(第五帖第一通)は、五帖八十通の内では最も親しまれているもののひとつで、
短いご文の中に浄土真宗の根本である第十八願に示される安心の内容が明らかにされています。
 ところで『蓮如上人御一代記聞書』第一八五条には、
    仰せにいはく、仏法をばさしよせていへいへと仰せられ候ふ。
    信心・安心といへば、愚痴のものは文字もしらぬなり、信心・安心などいへば、別のやうにも思うなり、
    ただ凡夫の仏になることをしふべし、後生たすけたまえと弥陀をたのめといふべし。
    なにたる愚痴の衆生なりとも、聞きて信をとるべし。当流には、これよりほかの法門はまきなりと仰せられ候ふ。
    『安人決定鈔』にいはく、「浄土の法門は、第十八の願をよくよくこころうるのほかにはなきなり」といへり。
    しかれば『御文』には「一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、
    たとひ罪業は深重なりともかならず弥陀如来はすくひましますべし、
    これすなはち第十八の念仏往生の誓願の意なり」といへり

と述べられていますが、いまの御文章と合わせて読めば、さらに詳しく蓮如上人のおこころがうかがえます。
 すなわち上人は、周囲の人びとに「仏法をばさしよせていへいへ」、
つまり簡潔にわかりやすく表現することを勧めておられたようです。これについて法敬坊に対して仰せられたことがあります。
     信心・安心といっても愚痴の者は文字もしらず、また別のことのように思ってしまうのだから、
     ただわれわれ凡夫が仏になることを教えればよい。すなわち後生たすけたまえと弥陀をたのめと言いなさい。
     このように言えばどのような愚痴の衆生でも、その教えを聞きひらいて信心をいただくであろう。
     浄土真宗においてはこれ以外の法門はないのである。

と仰せられたのです。
 蓮如上人が常に用いておられる『安心決定鈔』には「浄土の法門は、
第十八の願をよくよくこころうるほかにはなきなり」と要点がしめされています。
 そしてこれをうけて「末代無智の章」の文が引かれているのですから、
ご教化は平易にして簡単明瞭であるべきとされるお手本がこの御文章である、といえます。
 次の内容でこの一章を分けてみますと、冒頭から「誓願のこころなり」までが安心をあらわされ、
「かくのごとく決定してのうへには」以下は報謝について述べておられます。
 最初の「末代無知の在家止住の男女たらんともがらは」は、阿弥陀如来のご本願のおめあてとなる人々を挙げておられます。
 ところで第十八願には、
    たとひわれ仏を得たらんに、十方衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。
    もし生ずれば、正覚をとらじ。ただ五逆と非謗正法とをば除く

と説かれています。ここでは、「十方の衆生」とのよびかけですから、その誓いはいのちあるすべてのものにおよんでいます。
 私たちは再び、ここで阿弥陀如来がなぜ本願をおこされたかを考えてみなければなりません。
「煩悩具足の凡夫」「煩悩熾盛の凡夫」との表現にもみられる「凡夫」とは
     無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、
     臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり

としめされています。とくに「水火二河のたとへ」とは善導大師の『観経疏』「散善義」にあるたとえの表現で、
水の河は貧欲(むさぼりもとめるこころ)、火の河は瞋恚(いかり腹立つこころ)とされています。

 煩悩に明け暮れる私には、仏になれるような清浄なこころはなく、むさぼり、いかり、
またいつわりやへつらいの心ばかりで、とても真実の心をみずからもつことは出来ません。
遙か昔より迷いつづけ、その迷いの世界から抜けでる道をもたない私が今ここにいるからこそ、
仏さまは法蔵菩薩の立場において「もし生ぜずは、正覚を取らじ」と誓われたのです。
 したがって浄土真宗における聴聞は、まず第一に、この私のためのご本願であったことを知らさせていただくことになり、
そのことによって、親鸞聖人がつねに「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとへに親鸞一人がためなりけり」と口にしておられたことが、私のこととして味わえてくることになります。
 そこで「末代無智の在家止住の男女たらんともがらは」とは、それぞれが自分のことであると受けとるのが大切なのです。
 詳細にみれば、末代は上代に対し、無知は有智に対し、在家は出家に対することになります。
上代とは釈尊在世中および滅後まだその影響力が強く残っていた時代をさします。
一方、末代とは時代とともにその影響力が薄れ、みずから行にはげんで悟りを開くことが困難な時代をさしています。
 有智の人とはみずからの力で悟りに至る道を歩むすぐれた人のことで、
家庭生活の束縛を捨て出家した方が修行にはげみやすいといえます。
ここまで考えてみますと、まず蓮如上人の時代も五百年を経過した現代も「末代」の世であり、
さらに「有智」「出家」に想いをめぐらせると、私は、「無知の在家止住」であることが知らされるばかりです。
 この私が阿弥陀如来のご本願のおめあてであったと、親鸞聖人は感動をもって、
    まことに知らぬ。悲しきかな愚禿鸞(ぐとくらん)、愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、
    名利の太山(たいせん)に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、
    真証の証(さとり)に近づくことを快(たの)しまざることを、恥べし傷むべし。
                                      「教行信証」「信文類」

と述べておられます。この文中の「愛欲の広海」「名利の太山」に私たちは胸うたれます。
どれほど長い人生を送っても、結局はこれらにまどわされつづける生活でしかありません。
阿弥陀如来の智慧の光明に照らしだされて、はじめて本当の自分の姿に気づくことになります。
人間の根本は「我執」であり、これがあると、ものを正しく見る眼がさえぎられて、
他人の欠点や短所はよく見えても、自分の悪いところに少しも気づきません。
人に対して厳しく、自己に対して甘い生活が、臨終の一念にいたるまで改まることなく繰り返されることになります。
 ところで宗祖親鸞聖人は、この文で、「悲しきかな愚禿鸞」といっておられます。
ただここでみられる煩悩とは、阿弥陀如来のみ光に照らされて気づかされたみずからのすがたですので、闇ではありません。
むしろ影とでもいえるもので、それはそのまま光の中にあるというあかしでもあります。
「悲しきかな」に慚愧のこころがうかがえる一方、正定聚の人としてのよろこびさえ伝わってくるのです。

▼ご恩報謝のお念仏


 つぎに安心の説かれる中で、「こころをひとつにして」からは本願の意を示されるのですが、
まず本願のはたらきで救われる衆生の姿を明らかにされ、「たとひ罪業は」からは、救いの法を示され、
「これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころなり」で結んでおられます。
 とこれで第十八願文は先にふれましたが、そこにしめされる「至心信楽して、
わが国に生ぜんと欲ひて」とは名号を私の心にいただいたすがたで、これが信心であり、
「乃至十念せん」とは心にいただいた名号が私の口にあらわれでたすがたで、これがお念仏であります。
そしてこの信心も、お念仏も、ともに如来の名号が私にいたり、とどいたすがたにほかありません。
したがって如来の名号をいただいたすがたを、信心でも、また念仏でも語ることができるのです。
この点を配慮して「これすなわち第十八の念仏往生の誓願のこころなり」を味わってみなければなりません。
 法然聖人は「往生の業には念仏を本とす」としめされていますが、これは善導大師が、
称名念仏は本願に誓われた行であるから、まさしく往生の決定する業因であるといわれたご解釈をうけられたものですから、
善導大師・法然聖人においては念仏往生を強調されたとうかがえます。
 この場合、お念仏を往生の業因とされるといっても、私の口から声となってでる行為が役に立ってすくわれるのではありません。
法然聖人は、他のすべての諸行を選び捨てて、念仏はすぐれていて易く、
諸行は劣っていて難しいからであると述べられています。そして念仏がすぐれているのは、
名号がすぐれているからであり、念仏が往生の業因になるのは、
阿弥陀如来の名号のはたらきで往生させていただくからであります。
したがってどこまでも称える自分のてがらを認めることではないからです。
 親鸞聖人もまた法然聖人からうけられた念仏往生を生涯説きつづけておられます。
晩年の著述といわれる『一念多念証文』に、
    浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり、まつたく一念往生・多念往生と申すことなし、
    これにしてしらせたまふべし

と述べていられることによってうかがえます。
 尚、親鸞聖人は第十八願を「至心信楽の願」ともしめされ、
この願の中心は信心であると見ておられることも決して忘れてはなりません。
 いずれにしてもここで蓮如上人が「第十八の念仏往生の誓願」と表現されるのは、
善導大師→法然聖人→親鸞聖人の伝承にもとづいて、法義を明らかにするのである、との姿勢をしめされていると考えられます。
 ここで注意しなければならないのは、それでは、私たちが救われるためには信心とお念仏の両方が必要なのかということです。
親鸞聖人は、『正像末和讃』で、
    不思議の仏智を信ずるを 報土の因としたまへし
     信心の正因うることは かたきなかになほかたし

とか、『教行信証』「信文類」において、
    涅槃の真因はただ信心をもつてす
と信心正因を明らかにされ、仏の救いを信じ、仏の仰せを信じたときに、
私たちはまちがいなく仏となるべき身に決まると説いてくださいます。
 それでは私たちの口で称える念仏は、どのような心持でさせていただくのかといえば、
お救いのまちがいないことを喜び、有り難く思って称える仏恩報謝の念仏としていただくのであります。
そのところが「かくのごとく決定してのうえは、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、
称名念仏すべきものなり」の表現で示されています。
南無阿弥陀仏と称えることは仏の徳をほめたたえることになるのですから、
称えなければ救われないという念仏ではないのですが、つとめて念仏するように心がけたいと念仏相続を勧められて、
この御文章は終わっています。
 最後に振り返ってみますと、衆生について述べられるところで、
「こころをひとつにして」「さらに余のかたへこころをふらず」「一心一向」と書かれています。
これらの表現は一見異なるようですが、いずれも同じことを言っておられ、
言葉を換えて何度も阿弥陀仏一仏によるべきことを勧めておられるのです。
このことについて、ある研修会での参加者の発言が気にかかります。
    私たち夫婦の長年の夢であった老朽化した住宅の新築にふみきりました。
    すでに退職していましたので、家の解体作業の手伝いをしていたとき、倒れてきた柱で大けがをしました。
    幸いに外傷は早く治りましたが、その後の体調が思わしくないので精密検査を受けたところ、
    腰の骨に異常があるとのことでした。長期にわたって治療に専念しなければならないとの診断で、
    目先が真っ暗になってしましました。年老いた母親のこと、子どもの結婚のこと、妻のこと、
    お金のこと‥‥、あれこれ考えると頭痛まででて、夜も熟睡できない毎日です。
     このような状況の時に数多くの宗教の勧誘をうけ、ワラにもすがる思いで方々に出かけ、お参りも熱心にしています。
    また朝晩わが家の仏壇でも手を合わせています。しかし事態はなかなか好転しません。
    もっと一生懸命お参りしなければご利益がないのでしょうか。

 長い話でしたが要約するとこのようなものでした。
この人の発言が門信徒の意識の中で特異なものであるといえない時代である、といえます。
名ばかりの門信徒で終わらないように、お法にあうことの大切さが知らされます。
この視点に立てば、蓮如上人の繰り返してのご教化のおこころがはっきりとうかがえるといえましょう。
                                                          清岡 隆文 先生
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