生きることの意味「現代人と宗教」

■現代人と宗教
現代人は、一般に宗教に無関心であるといわれています。それは、近代以降の飛躍的な科学の発展に伴い、人は合理的・科学的にものごとを考えるようになったからだと思います。しかし、本当に私たちにとって宗教は意味のないものでしょうか。この講座では、私たち現代人にとって宗教がいかなる意味をもつのか、石田慶和先生にいろいろな角度から講じていただきます。


◇「現代人」とは◇



 「現代」とは「現在の時代」ということですから、「現代人」とは今の時代の人間のことです。宗教の問題を考えようとするときに、どうしてことさらに、「今の時代の人間」が問題になるのでしょうか。それは、ものの考え方が今と昔とでは大きく変わってしまったからです。
 もちろん変わっていないこともたくさんあります。人間にとって根本的なことで、いつの時代でもまったく変わらないことは、例えば「生老病死」とか「一切皆苦」とかいわれることと、すなわちどんな人も年をとり、病気になったり、また、いつかは死ななければならないということや、いろいろな機会に人間は心に苦しみをもったり悩んだりしなければならないといったことです。けれども、そうしたことについての原因や解決の方法についての考え方が、今日ではすっかり変わってしまったのです。それがいま宗教にとって大きな問題となっています。このことを少し立ち入って考えてみましょう。


◇現代人と心の問題◇


 現代の人間は、体の不調の場合はいうまでもなく、心に不安を感じたり悩みをもったりした場合でも、まずお医者さんに相談しようとします。僧侶や牧師に悩みをうちあけてアドバイスを求めるということは、よほどの信者でない限りしないのではないでしょうか。アメリカなどでは、そういうときに相談を受けるのは精神分析医といわれる医師で、風邪をひいたときには内科医に診察してもらうように、人々は精神的に不安定になると気軽に精神科医に診断をうけるようです。


◇医学への信頼◇


 どうしてそうなのか、その理由をオルポートという心理学者は次のように言っています。現代の人間は、心に不安を感じたり、自分が精神的に健康でないと自覚したりすると、その病気の原因を合理的・科学的に明らかにしたいと思います。精神科医は科学者ですから、その原因を見つけてくれるだろうと考えるのです。そうすれば、自分の内面生活に自ら直面したり、他人に立ち入られたりする必要はありません。だれにも知られたくない心のなかに踏み込まれるよりも、内蔵の故障や、血圧のの加減で心理的に不安定なのだといわれるほうがずっと受け入れやすいことは明らかです。あるいは、働きすぎだとか対人関係からのストレスだとかいわれると、納得することもできるでしょう。僧侶や牧師といった人々は、病人の悩みを科学的に理解しようとはせず、その心のなかに立ち入ろうとしたり、道徳的な立場から判断したり、あるいは、お説教やお祈りをするかもしれません。そんなことは閉口だというわけです。
 それに現代科学の各分野と応じて、医者もすばらしい進歩をとげました。その医学に対する大きな信頼と期待があります。精神科医は最近の研究によって人間の精神ついて新しい発見とすぐれた洞察を確立しているに違いないと人々は信じています。しかも、それは、多様に分かれている宗教の教えとは異なって、普遍的で統一している総合的知識であり、信頼度の高いものです。こうなると勝負は明らかです。古めかしい宗教の教えや儀式、懺悔・告白などということは問題になりません。心の悩みについて、力強い解決の道を示してくれるのは医学、とくに精神医学しかないというわけです。


◇生きる意味◇


 こうした現代医学に対する信頼は、ある程度まで正しいといえましょう。軽い心理的な疲れとか、逆に思い心理的な病気については、多くの知識と経験をもつ医学によって治療しなければならぬことは言うまでもありません。しかし、多くの人たちが漠然ともつ不安、あるいは自分の生き方や在り方について感じる疑問、もっと明確にいえば、人間がそれによってほんとうに生きてゆくことのできる「生きる意味」や「生き甲斐」を見いだすというようなことは、はたして医学的に解決できるのでしょうか。それは医学の領域の問題ではありません。そこに、まさに宗教の問題があるのです。そのことを、少し別な角度から考えてみましょう。


◇ユングの心理療法◇


 スイスの有名な心理学者で、また精神科医として精神分析の分野で大きな業績を残したユングという人が、一九三二年にシュトラスブルグでキリスト教の牧師たちに対しておこなった「心理療法と牧師の関係について」という講演の記録があります。「牧会(ぼっかい)」というのはあまり聞きなれない言葉ですが、これはキリスト教で「魂への配慮」ということを意味しています。牧師が教会で教えを説いたり、また人々をその状況に応じて教え導くことで、牧師だけでなく信者たちすべての務めでもあるとされています。ユングはこの講演で、キリスト教の伝道と心理療法との関係を明らかにしようとしているのです。私はそれを読んで、現代における宗教の役割について教えられるところが多くあったと同時に、親鸞聖人の教えの深さということについても非常に考えさせられるところがありました。そのことを次に述べてみましょう。
 ユングはまず精神神経症という病気を取り上げ、それがまったく心の原因から生じ、また心の治療によってのみ癒すことが出来るということを申します。というのは、この病気は遺伝とか体質とか細菌の感染といった身体に関わる原因によるのではなく、「心」という実体のとらえられないものを原因とするというものです。そのことは、この病気が身体の器官の治療によってではなく、精神科医の適切な説明や慰めの言葉によって治療効果をあげることから知ることができます。ただその場合、医師の言葉が効果をあげるのは、それは意味あるいは意義を伝えているときだけだとユングはいます。

◇阿闍世王の苦悩◇
 このようにいえば、私たちはただちに『教行信証』の「信巻」に引用されている『涅槃経(ねはんきょう)』の阿闍世(あじゃせ)王のことを思い出します。阿闍世(あじゃせ)王は父の王を死に至らしめたのち深刻な苦悩におちいり、身体中に瘡を生じます。そして手当をして治そうとする母后の韋提希夫人(いだいけぶにん)に「この瘡は心から生じたものであって、肉体から起こったものではありません」といっています。まさに心の原因によって生じたもので悩んでいるのです。その悩みをほんとうに癒すのは、内容の空虚な六師外道の教えではなく、深い悟りにもとづく釈尊の意味深い教えであったことは、『涅槃経』のそのあとの叙述で明らかです。釈尊は、いわば心の医師として、阿闍世(あじゃせ)王の苦悩を治療させたのです。


◇偏見のない客観性◇


 ユングはさらにこの精神神経症は自己の存在の意味を見いだせない魂の苦悩であるとして、いかにして精神科医がその病を癒(いや)すことが出来るかを問います。その場合、もっとも大切なことは精神科医の「偏見のない客観性」であるというのです。神経症の患者が心の悩みを告白しようとするとき、精神科医が自分の道徳的な考え方からその内容を受け入れられない場合には、患者は自分が受け入れられたとは感じません。言葉にするにせよ、しないにせよ、患者の在り方を医師が裁くならば、患者は心を開かないのです。患者の心を導こうとするなら、精神科医はどんなことも受け入れ、患者と共に感じることがなければなりません。それは人生に対する畏敬(いけい)の念にもとづく「偏見のない客観性」から、言い換えればどんなことでもあるがままに受け入れる態度からのみ生まれるとユングはいっています。しかしそのためには、医師自身が自分をあるがままに受け入れるということは、あらゆる者のなかでもっとも卑しい者、もっとも破廉恥(はれんち)な者が自分の中にいることをみずから認めるということであり、そのときはじめて「偏見のない客観性」が生まれるというのです。


◇二種深信◇


 私はこうしたユングの考え方を読んで、これは浄土真宗でいう「二種深信(じんしん)」の「機の深信(じんしん)」というのだと思いました。善導大師によれば、「機の深信(じんしん)」とは「自身は現在罪深い迷いの凡夫であり、はかり知られぬ昔からいつも迷いにさまよって、これからも生死を出る手がかりがない」と信ずることであり、『歎異抄』の言葉によれば、「そうなる業縁(ごうえん)が促したならば、どんな行動をするかもしれない」という人間の真の姿に気づかされることです。浄土真宗の教えが聖者・賢者のための教えではなく、煩悩具足の凡夫の救われる道であるということは、「機の深信(じんしん)」において明確に示されていることです。それは、ユングのいう「自分をありのままに受け入れる」ということではないでしょうか。 
 しかし、それとともに、親鸞聖人の教えによると、「二種深信(じんしん)」は「法の深信(じんしん)」とが別々に成立するものではありません。それは真実信心の二面であって、古来、「二種一具」といわれるように、そこでは、如来の本願によって必ず浄土往生をとげ得ると信じることによって、罪悪生死(ざいあくしょうじ)の凡夫である自己の真相がほんとうに明らかになるのです。このことは、じつは深い意味をもっているように思います。


◇ユングの宗教理解◇
 

 ユングは、神経症患者を援助しようとする精神科医は「偏見のない客観性」において患者を受け入れるだけではなく、患者の貫徹(かんてつ)しようとするエゴイズムにおいて患者を援助しなければならないといいます。この場合、エゴイズムというのは、患者のおちいる深い孤独な状態のことです。そのときにこそ恵み深い力が体験されるというのです。苦しんでいる人間の助けになるのは、その人が自分で考える内容ではなく、啓示された心理、宗教的心理だけであるとユングはいっています。宗教は魂の苦悩に対する治療体系なのです。そうした宗教的心理はいかにして与えられるのでしょうか。それは真実の「教え」によるしかありません。


◇「教え」の意味◇


 浄土教についていえば、「機の深信(じんしん)」は人間そのものの在り方についての見方ですが、「法の深信(じんしん)」は先人たちによって伝えられた浄土の「教え」の内容です。それらの「二種深信(じんしん)」が「信心」においてあらわになるということは、親鸞聖人の導きによってめざめるしかありません。こうしたことをほんとうに伝えることができるのは、精神医学や精神分析の領域においてではなく、宗教の領域においてなのです。
 ユングはその独自の「無意識」についての考えに即して宗教の意味を理解していますが、ここでは彼の深層心理学の立場からの宗教理解が問題ではなく、宗教が人間の精神にとってどういう意味をもつかが問題です。上に述べたユングの説からも明らかなように、人間の深い心の苦悩の解決には、私たちが承け伝えてきた「教え」というものがどうしても必要なのです。
 神経症の患者は病気であって、そんなことは一般の人たちにはあてはまらないと考える人があるかもしれませんが、精神神経症という病気は現代の人間の心の在り方をよく表しているということに気づかなければなりません。今の人々が漠然と感じている「生き甲斐」の喪失といったことを、もっと明確に自覚しているのが神経症を病む人たちなのです。毎日の仕事に追われていたり、目前のことでつい忘れているけれども、ほんとうはだれもが心のなかでもっている問題を、その人たちははっきりと打ち出し、それを真剣に悩んでいるといえましょう。
 このことは、親鸞聖人が「信巻」に、逆悪の阿闍世(あじゃせ)王がみずからのおかした罪悪に苦悩し、それをきっかけとして釈尊の「教え」によって、「無根の信」をめぐまれ、新しい生命を獲得したという物語を引用されていることと深く対応しているように思います。阿闍世(あじゃせ)王は、今でいえば神経症を病んでいるのです。それを癒すことができたのは釈尊の導きであったわけです。親鸞聖人は、ユングが神経症という病気の治療をめぐって明らかにしようとした人間の心の問題と、宗教的なめざめの意味を、阿闍世(あじゃせ)王の回心の事実によって具体的に、しかもはるかに的確に語ろうとされているのです。宗教が現代の人間にとって意味があるかどうかは、こうした精神医学の問題と、親鸞聖人の教えとを重ね合わせるときはじめてほんとうに理解されると私は思います。


■現代人と宗教②


 「生」だけを価値あるものとして執着する私たちにとって、「生」を否定する「死」を素直に受け入れることができるでしょうか。今回は、「生死を超える」ために宗教がいかなる意味をもち得るのか親鸞聖人やそのご門弟の生死観をうかがいながら講じていただき、私たちが生きていくうえでもっとも大切な生き甲斐について考えてみましょう。


◇人間中心・現世中心◇


 現代人の特色は、なによりも「人間中心・現世中心」ということです。このことは、私たちの生活のあらゆる場面にゆきわたっています。先に取り上げた心理的な不安定の場合についてもそうでしたが、もっと深刻な「死」の問題についてもそうです。
 少し前に、東京の聖路加看護大学の学長の日野原重明先生が、こういうことを書いていらっしゃいました。先生がまだお若い頃、青年医師として病院に勤務されていたとき、工場で働いていた一人の少女を担当されました。彼女は結核性の腹膜炎で、とても助からない状態でした。母一人子一人で、仕事のために駆けつけてこれない母親に、臨終のと床で彼女は伝言を託そうとしました。そのとき先生は、「安心して死んでいきなさい」とはとてもいえず、「大丈夫だから、病気はよくなるから元気をだしなさい」と力づけられたというのです。 少女が亡くなったあと、先生はなぜあの時「安心して死んでいきなさい」といえなかったのかということに深い疑問をもたれます。そしてそれは「一般に、医者は病気に立ち向かうもので、患者を助けるのが仕事、死を受け入れるのは邪道だ、というふうに思っていた」ことによると気づかれます。そして、それでいいのだろうかと悩まれたのです。それが後年、先生がホスピスという臨死の人のための病院を作ろうと決意されたことに連なっていると記されています。
 日野原先生のお父さんはキリスト教の牧師でしたし、先生自身もクリスチャンです。それでも若い頃、医師としては、死を受け入れることは邪道だと思っておられたということは、非常に考えさせられます。それは、先生だけのことではありません。今でもほとんどの医師はそう考えているのではないでしょうか。医師ばかりでなく、すべての人がそうだといってよいでしょう。生きていること、この世のこと、それがなによりも大切で、それを中心に一切の事柄が働いているのが現代です。なによりも大切なこの現実の「生」そのものを否定する「死」ということは、とても受け入れられないことなのです。


◇生と死◇
 

しかし、およそ生命あるかぎり、いかなるものも避けることのできぬ「死」を受け入れず、ただ「生」だけを価値あるものとしてそれに執着する、それがはたして人間のほんとうの「生」といえるでしょうか。「生」と「死」とは不離です。その世に「生」を受けたその日から、私たちは「死」に向かって歩いているのです。そのことに目を閉じて、「生」だけを見るというのは、無知というより傲慢だといわなければなりません。
「生」だけを価値あるものとするということは、「死」は無価値であり、無意味であるということにほかなりません。人間は生きているだけが大切で、死んでしまえば何の値打ちもないことになります。いったん重病になると、鼻や口にはチューブが入れられ、注射や点滴をされ、ものもいえず動きもできず、最期まで寿命のために処置をされて、それでもだめだと、結局はゴミのように捨てられてしまう、そういうことがいったい人間の「生」というものでしょうか。今、病院などでふつうに見られるこうした状況に端的に現代の人間の考え方があらわれているように思います。
 なぜ「死」を受け入れることができなくなったのか。それは、私たちが人間を超えるもの、現世を超える世界とのつながりを失ってしまったからです。目に見えるものや目に見える世界についての知識は、確かに限りなく拡大しました。しかし、目に見えないものや目に見えない世界についての智慧を私たちは失ってしまったのではないでしょうか。


◇親鸞聖人と門弟◇


 親鸞聖人のお手紙に、こういうことが書かれています。京都へお帰りになった聖人のもとへ、東国の門弟たちが訪ねてゆきます。その中の一人の覚信坊が途中で病気になったので、同行していた人たちが国へ帰りなさいといったところが、覚信坊(かくしんぼう)はこう申します。「死ぬほどのことなら、帰っても死ぬし、とどまっても死ぬでしょう。また病気がなおるなら、帰ってもなおり、とどまってもなおるでしょう。同じことなら聖人のおそばで死ぬものなら死のうと思ってここまできたのです」。こうしてまもなく、覚信坊は念仏を称え、手をくんで静かになくなったのです。蓮位(れんい)というひとの書いたこの文をお読みになって、親鸞聖人は涙を流されたと記されています。
 ここには同じ念仏の信心に生かされている人々の温かい心のつながりと、生死を超える世界での結びつきがよくあらわれています。聖人はほかの手紙にも、門弟たちに「きっと、きっと同じ浄土へ参りましょう」とお書きになっています。これは、ただ死後の世界をあこがれたり、この世から逃避的になったりしているということではありません。聖人や門弟の人たちにとっては、「生」と「死」とはひとつに受け入れられるものであり、決して別々のものではなかったのです。いわば「生」と「死」とのはざまが透明になって、限りない光明の世界が望み見られていたということではないでしょうか。
 「生」ばかりを価値あるものとして尊重し、「死」を嫌悪し、否定しようとするからこそ、「死」はかえって恐るべきものとして私たちに迫ってきます。その恐れから逃れるために、何とかして死後のことについてたしかな知識を得たい、死んだらどうなるかを知りたいと研究をすすめている人たちもいます。つい最近も臨死体験という、仮死状態に陥った人の経験を聞いたり記録したりしていることが、テレビで伝えられていました。しかし私はそういう方法では「死」というものはとらえられないし、まして「生死を超える」ということはできないと思います。「生死を超える」ということは、死後のことを知ることによってではなく、私たちがこの存在の真の拠りどころを見いだすことによってはじめてできることなのです。現実の「生」の拠りどころが、そのまま私たちのほんとうに帰るべきところとして明らかになってくるのです。親鸞聖人や門弟の人たちはそういうところとして浄土を受けとめておられたと思われます。


◇ビッグ・バン◇


 ホーキングというイギリスの科学者が、宇宙の創造について新説を発表して評判になっています。この宇宙は百億年か二百億年前のビッグ・バン(大爆発)から始まったというのです。いずれこの宇宙の創造の過程が、創造主としての神を考えなくても、科学的に説明できるようになるといわれています。神のよる「無からの創造」というキリスト教の教えからすれば、こうした最近の学説はショッキングなのかもしれませんか、東洋の世界観からすれば、こうした説はそれほど驚くべきことでもありません。古代のインドの人たちの創造説のほうがもっとスケールが大きいといえるのかもしれません。
 科学的には、この宇宙の創造と死滅の過程を知ることも意味のあることです。それによって学問の新しい展開がなされるにちがいありません。アインシュタインの相対性理論がそれ以前の物理学を転換するだろうといわれています。そうした現代科学の業績を否定するものはないといってよいでしょう。しかしそのことと、宗教的な世界観なり人間観の意味とはまったく異なります。それらを比較して、どちらが正しいとか正しくないとかいうのはおろかなことです。しかし今日、一般に宗教と科学について論じる場合、そうした論議をすることが多いようです。そこに現代のもう一つの問題としての宗教の側の問題があります。科学が明らかにする「真理」ではなく、宗教が明らかにしようとする「真実」が、現代においては十分理解されなくなっているのです。


◇宗教の立場◇


 さきにあげた親鸞聖人と門弟の人たちとの結びつきにおいても見られるように、宗教的世界は一人ひとり人間の心に深く関わるものです。「浄土」で再会するといっても、新幹線に乗って東京でだれかと会うといったことではありません。そこで語られていることは、やはり「生死を超えて」同じ世界に住むということです。このことは、たとえば「還相回向(げんそうえこう)」というようなことからも知ることができます。
 「還相回向(げんそうえこう)」というのは、本願のはたらきによって、私たちがいったん浄土に生まれて仏となり、ふたたび現世へ還って苦悩の衆生を救済することができるということです。親鸞聖人は曇鸞大師(どんらんだいし)の教えにもとづいて往相(おうそう)・還相の回向ということをいわれたのですが、そのお考えのもとになっているのは、大乗仏教の「自利(じり)・利他相即(りたそうそく)」とか、「上求菩提(じょうぐぼてい)・下化衆生(げけしゅじょう)」という精神であると私は思います。罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の私たちは、自分の力では衆生を救うなどということはとてもできませんが、如来の本願に乗託(じょうたく)して浄土へ生まれ成仏したならば、その本願のはたらきによって、かならず衆生済度(しゅじょうさいど)ができるのだということを親鸞聖人は深く信じておられたのです。『歎異抄』に、聖人のお言葉として、「浄土の慈悲」について「いそいで仏になって、大慈大悲心をもって、思うように衆生を利益する」とか、「神通方便(じんづうほうべん)によって、まず縁のあるものを済度する」とかいわれているのは、そのお気持ちを語るものにほかなりません。これはどういうことなのでしょうか。


◇生き甲斐◇


 人間が、自分の生きている意味に気づき、生き甲斐というものを感じるのは、自分の存在が他の人たちの頼りになるということを知ったときです。それは逆に、生きている意味がわからない、生き甲斐がないと思うのは、自分がだれにも頼られない、だれにとっても必要ではないと思うときだということから、すぐにわかることです。自分が真に頼れるものを見いだすとともに、だれかに頼りにされていることを知ることによって、人間は充実した「生」をおくることができます。日常の親子・夫婦・師弟といった関係においてもそうですが、もっと深い宗教的な世界では、いっそうそうした人間相互の信頼ということが根本的なのです。さきにいった大乗仏教の「自利・利他相即(りたそうそく)」ということも、そういう人間の生き方をいっていると考えることができます。
 親鸞聖人は徹底して自分の力、自分のはからいというものをしりぞけられました。「自分のはからいをすてて如来にまかせる」ということが、生涯をかけて聖人が教えられたことといってよいでしょう。そうした立場からは、現在の自分がだれかの頼りになる、だれかを支えるということは考えられません。そんな能力はとてもないといわねばなりません。それでは「自利・利他相即(りたそうそく)」ということはどうなるのか。聖人は、そこにも本願のはたらきというものを見いだされたのです。この世では煩悩にさまたげられて思うようにできないけれども、浄土に生まれた後はかならず人々の頼るところとなって、助けることができる、利他のはたらきができる、それが約束されている、そういうお考えが、「還相回向(げんそうえこう)」ということであらわされたものです。そのことの裏づけは、法然上人であったことはいうまでもないでしょう。人々の深く帰依するところであり、また自分を生死出離(しょうじしゅつり)の道へと導いてくださった「よき人」法然上人こそ還相の菩薩であるというのは、親鸞聖人のゆるぎない確信であったのです。そこに、聖人は生きる拠りどころと意味を見いだされたのです。


◇宗教的表現◇


「還相回向(げんそうえこう)」をめぐってすこしくわしく申しましたが、宗教的な表現がどういうことをあらわそうとしているかが多少明らかになったと思います。生きる意味とか、生き甲斐といったことは、直接の表現ではあらわしにくいことです。また目に見えるもの、限りあるものによってそれを示すことはできません。限りあるものを生き甲斐とするときは、かならずそれに裏切られます。ふつうの感覚や知覚を超えたところにはじめて見いだされることである以上、それをあらわす表現は象徴的表現となるのです。それが宗教的表現です。ただその象徴的表現を理解し解釈することが大切です。その努力がいままで十分ではなかったことを、宗教について考える者は反省しなければなりません。科学的な表現とは異なる宗教的な表現が、どういうことをいおうとしているかを説明することが、とくに現代における宗教の最大の課題といってよいでしょう。その努力が多くなされるようになったとき、宗教はふたたび力強いはたらきをするであろうと私は思います。


■現代人と宗教③


 生きる意味とか生き甲斐というものは、直接的な表現ではあらわしにくいものです。しかし私たちは、即物的(そくぶつてき)にものを考えたり、実体のある何かをたよりとしてしまい、宗教的にものを見たり考えたりすることができないのではないでしょうか。今回の講義では、親鸞聖人のご生涯、とくに人生の転機にみられた三つの夢をもとにして、宗教的なものの見方、ものの考え方について講じていただきます。 


◇宗教的な見方◇


 「宗教的な表現」ということを申しましたが、そういう表現の基礎となっている宗教的な見方というものは、ふつうの私たちの見方、とくに現代の人間のものの考え方とはちがっているところがあります。たとえば、自然科学的な太陽系宇宙とか銀河系宇宙といった世界の見方に対して、地下界、天上界、地獄、や浄土といった世界についての見方もそうですが、とくに異なるのは、人間そのものについての見方です。そのことを具体的なことがらについて考えてみましょう。それは親鸞聖人という方をどう見るか、ということをめぐって考えられます。


◇親鸞聖人の夢◇


 よく知られているように、親鸞聖人はそのご生涯の重要な転機に夢を見ておられます。最初の夢は、比叡山をおりて六角堂に百日間、参籠(さんろう)しようとなさったとき(二十九歳)の夢であり、第二の夢は、越後から関東に移住された頃(五十九歳)の夢です。第三の重要な夢は、『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』冒頭の「弥陀の本願信ずべし」という和讃を感得された康元二年(一二五七年、聖人八十五歳)二月九日の夢です。
 六角堂の夢は法然上人にお会いになるきっかけとなった夢とされてますが、『恵信尼消息(えしんにしょうそく)』に記されているその夢では聖徳太子の示現をお受けになったことかかれています。その示現の文がどのようなものであったか、ということについてはいろいろの解釈があります。示現の文そのものは失われたので、確定することはできませんが、だいたい現在では「廟窟偈(びょうつくげ)」といわれる「三骨一廟(さんこついちびょう)の文」ではなくて、『御伝鈔(ごでんしょう)』第三段に記されている「行者宿報説女犯(ぎょうじゃしゅくほうせつにょぼん)」の偈文であろうと考える人が多いようです。問題はその偈文をめぐって、親鸞聖人がそのときどういう悩みをもっておられたとみるか、ということにあります。ほとんどの研究者は、青年期特有の性的な悩みとしていますが、私は以前からそういう理解に、何かぴったりこない感じがしています。


◇聖徳太子の示現◇


 『御伝鈔』には、ある記録(『親鸞夢記』か)に伝えられた親鸞聖人の建仁三年(一二〇三)四月五日寅の時の夢として、つぎのように書かれています。わかりやすくいいますと、「六角堂の救世(くせ)菩薩が、顔かたちのりっぱでおごそかな僧侶の姿で現れ、白い袈裟を着け、大きな白蓮華に端坐(たんざ)して、親鸞聖人に、
  〈行者宿報設女犯(ぎょうじゃしゅくほうせつにょぼん) 我生玉女身被犯(がじょうぎょくにょしんびぼん)一生之間能荘厳(いっしょうしけんのうしょうごん) 臨終引導生極(りんじゅういんどうしょうごく)楽(らく)(行者が過去の業報で女犯をするとも、わたしは玉女の身となって犯され、一生の間その行者の身をかざって、臨終には極楽へ導こう)〉
との偈文を示し、さらに、
  〈これはわたしの誓願である。あなたはこの誓願の趣旨を一切の衆生に宣(の)べ伝えなさい〉
とおっしゃった。そのとき、聖人が夢のなかで、六角堂の正面から東のほうを見ると、けわしくそびえる山があり、そこに数千万の衆生が集まっている。その衆生に、久世菩薩のお告げのとおり、聖人がこの文の意味を説き聞かせた、と思ったときに夢がさめた」というものです。
 この夢は、『恵信尼消息』の発見によって、建仁三年ではなく、建仁元年(一二〇一)の六角堂参籠の際の夢とされるようになりましたが、この文のなかの〈行者宿報説女犯…〉という言葉が、親鸞聖人のそのときの性的なやみをあらわすものと、多くの人は理解するのです。しかし、この文の全体をよく見ると、久世菩薩の聖人に対する指示は、この誓願の趣旨を人々に伝えることであって、偈文の内容についてではありません。それがどうして性的な悩みについての夢だと考えられるのか、そうしたことに、私は現代の人間のものの見方が反映していると思うのです。


◇フロイトとユングの夢解釈◇


精神分析でユングとともに有名なフロイドが、夢を抑圧された性的な潜在意識のあらわれと考えたことは、よく知られています。神経症の患者の治療経験にもとづいて説かれたフロイドの性欲説が、精神分析学を大きく発展させたことはいうまでもありません。しかし、人間の悩みは性的な悩みばかりではありません。とくに青年期のもっと根本的な悩みは、自分が何をめざして生きていったらよいのか、自分の生きる意味・目的は何なのか、それが見いだせないということではないでしょうか。さきにも申しましたが、生きてゆく拠りどころがないということは、自分がだれからも期待されない、だれからも頼りにもならないという悩みと結びついています。そういう思いほど人間を絶望的にするものはありません。比叡山での二十年にわたる修行によっても、「生死出ずべき道」を見いだし得なかった聖人のお気持ちのなかには、そうしたことがすべてふくまれていたように思われます。この夢に性的な意味しか見ない人は、フロイトの考えにかたよりすぎているように思います。聖人が性的な悩みだけでなく、自分のあり方、生き方についての根本的な悩みをもっておられたらこそ、この六角堂の夢が聖人に決定的なはたらきをしたのです。
 フロイトと違って、ユングは夢を必ずしも性的な面だけで考えず、むしろ未来的な方向とか、予見といったものが夢にあらわれると考えています。この考えは非常に示唆的であると私は思います。
 聖人についていえば、夢のなかの久世菩薩の指示に、聖人は自分のなすべきこと、歩むべき道をはっきり見いだされたのではないでしょうか。仏堂を学ぶうえでの破戒(女犯)という個人的な悩みの解決とともに、さらにこれから歩むべき道を指し示すということが、この夢のほんとうの意味であったと思われます。そうなるべき業縁によって、どんなこともしかねない煩悩を具えた私たちを、浄土へ導こうという仏・菩薩の慈悲のはたらき、それを一切衆生に伝える、これこそ自分のなすべきことであり、歩むべき道である、そしてこれこそ、自利(じり)・利他相即(りたそうそく)という大乗仏教の精神に沿ったものである、そういうことをこの夢から聖人は感得され、そして法然上人のもとへ赴かれたのです。


◇寛喜三年の夢◇


 法然上人の導きで本願の念仏に帰入してのち、承元元年(一二〇七)の「念仏停止(ちょうじ)」という事件によって上人とともに流罪に処せられ、越後からさらに関東へと、妻子をつれて在俗の生活をしながら「自信教人信(じしんきょうにんしん)」の道を歩まれた親鸞聖人のその後の生涯は、そうした六角堂の夢の指し示したことの実現であったことは明らかです。そのことをあらためて確認されたのが、寛喜三年(一二三一)四月十一日の夢であったのです。
 東国へ移住される途中、佐貫(さぬき)というところで、聖人は衆生利益(しゅじょうりやく)のために三部経の千部読誦を思いたたれます。経典の読誦に大きな功徳があると考えられていた時代ですから、それはとくに不思議なことではありません。しかし、聖人は、自分のなすべきことは「自信教人信」にあり、そうした自力のなすべでないと気づかされて、それを中止されます。それから一七,八年たった寛喜三年の春、風邪の発熱のなかで、聖人は『大経』の文字を夢みられるのです。そこでよく考えてみると、昔、『大経』を千部読誦しようとしたことがあったと思いだされ、人間の自力の執念はほんとうに根深いものだと反省された、ということがやはり『恵信尼消息』に記されています。
 この夢についての記述は、聖人の自分のこころのなかへの深い反省とともに、東国におけるみずからの使命についての強い自覚を語っているように思います。もちろん自力の執心の根強さが意識され、それから解き放たれたということもありますが、それよりも、聖人の念頭を離れなかったのは、人々への念仏の信の教えを伝えるということであったのです。こうした点に宗教的人間のほんとうの生き方、考え方というものが示されているといえましょう。


◇康元二年の夢◇


 それが明確にあらわれているのが、聖人八五歳の時の夢です。『正像末和讃』のはじめに、「康元二歳丁巳二月九日夜寅時夢に告げていはく」と前書に記され、


   弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな
   摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり



と高らかにうたわれているこの和讃には、二九歳で雑行を捨てて本願に帰して以来、生涯をその教えを伝えることに捧げたことについて、それはまつがいではなかった、もう何も思い残すことはない、という聖人の大きな喜びがあふれています。それは、過ぎし日に六角堂でそうした使命を与えられた救世菩薩への感謝の気持ちひとつのものであったでしょう。 
 これらの三つの夢を見ても、聖人のご生涯は、実に見事に宗教者として一貫していると私は思います。
 「念仏停止」や流罪(るざい)、東国での伝道生活、帰洛、善鸞義絶(ぜんらんぎぜつ)など多くの苦難があったにもかかわらず、宗教的にはまさに不退転(ふたいてん)のあゆみを続けていかれた聖人に、私たちは感動せずにはおれません。それこそ、いつの時代にも人々を導くほんとうの宗教者の生き方であると申せましょう。


◇宗教的人間の関心◇


 親鸞聖人の夢をめぐってここに申しましたことに、宗教的な人間のあり方、さらに宗教における人間そのものの見方というものが、明確に出ています。もとより、こうしたことを普通の人間のレベルで見ることも可能でありましょう。それらの夢をめぐって、青年期共通の悩みのあらわれだとか、その時代の社会的な問題の反映だとか、老熟した人生観の表現だとか、いろいろ説明することもできるでしょう。しかし、それだけに尽きないものがあることに気づかなければなりません。それは、聖人を神格化するというようなことではありません。むやみに聖人を如来の生まれ変わりだとか、菩薩の化現だとかういことは、かえって聖人のおこころを理解しないことになりと私は思います。それには、逆に、聖人の人間性ばかりを強調して、そのすぐれた宗教性を失うのと同様のあやまりをおかすものです。そうではなくて、聖人をすぐれた宗教的人格とみて、敬意をこめて正しく理解することが肝心なことです。
 要するに宗教的な人間の見方というものは、人間を全体的にしかも根本的に見るのであって、内からの衝動とか、欲望とか、あるいは外からの作用といった一部の力で動かされたり、制約されたりしているものとは見ていないのです。
聖人についていえば、仏道に志されて以来、聖人を根本から動かしつづけたのは、「上救(じょうぐ)菩提・下化(げけ)衆生」の願い、もっと簡単にいえば、一切衆生の「生死出ずるべき道」を見いだそうとする願いであったのであり、その問題の解決が、聖人の生涯を決定したと見るのです。それが根本であり、それ以外のことは枝葉末節(しようまっせつ)なのです。人間をそういった角度からみる、ただ見るだけでなしに自分もそうだと考える、それが宗教的な人間の見方です。


◇宗教的要求◇


 親鸞聖人のご生涯、とくにその夢をめぐって宗教的な人間の見方、ものの考え方ということを申しましたが、こうしたことは、本質的には私たちのだれにもあてはまることです。現実の生活では、欲望や衝動に駆り立てられて生きている私たちでありますが、その底には、やはり聖人と同じように「生死出づべき道」を求めてやまないところにあります。日本の哲学者、西田幾多郎先生は宗教的要求というものは「己(や)まんと欲して己(や)む能(あた)はざる(とめようとしても、とめられない)大いなる生命の要求」であるといわれています。よく知られた『善の研究』という書物の中で、「宗教的要求」ということを問題にして、それが自己に対する要求であり、自己の生命についての要求であり、「我々の自己がその相対的にして有限なることを覚知すると共に、絶対無限の力に合一して之(これ)に由(よ)りて永遠の真生命を得んと欲する要求である」といわれるのです。そういう要求をもったものとして人間をとらえる、それが宗教の領域なのです。 こうした宗教的要求というものは、いかにして満たされるのでしょうか。そこにも独自な宗教的な見方というものがあります。ふつうの私たちの要求は、その要求の対象が手に入れられると満たされます。本能的な要求でも、もっと高尚(こうしょう)な文化的要求でもそうです。しかし宗教的要求は、何らかの対象を獲得して満たされる要求ではありません。それは、さきにいったように、「自己」に対する要求です。それは、日常的な自己の根本的な変革を求めるものです。西田先生は「真正の宗教は自己の変換、生命の革新を求める」といわれます。そういう自己の根本的な変革を実現して、はじめて宗教的要求は満足します。それを宗教的経験というのです。宗教的経験というと、異常な、特別の経験のように聞こえますが、それは日常的な経験とは異質ではあっても、決して異常な経験ではありません。本来は人間としても自然な、誰にもあるべき経験にほかなりません。それは、毎日の生活で見失っている真の自己、ほんとうの自分というものを見いだすことなのです。


■現代人と宗教④


 親鸞聖人が、ご生涯を通じて常に求めておられたことは、この世の人々が迷いの世界から解き放たれる道を見いだすことでした。そして、法然聖人に出遇うことにより、罪悪深重の凡夫が救われるのは本願念仏の教えしかないと気づかれます。それが聖人の「宗教的経験」でした。今回は、この「宗教的経験」について、私たちの身近なところから講じていただきましょう。 


◇宗教的経験◇


 宗教的経験とはどういう経験なのでしょうか。またそれは、人間にとってどういう意味をもっているのでしょうか、とくに親鸞聖人の教えとの結びつきで、そのことを考えてみましょう。
 親鸞聖人は、自分は「どんな行もおよびがたい身」であり、それゆえに、「地獄はたしかなすみか」であるとおっしゃるとともに、「他力の悲願」は自分のためであり、、「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願」を「親鸞一人(いちにん)がため」と仰がれました(『歎異抄』後序)それが聖人の身さだめられた「自己」の姿です。それは別なことばでいうと、「そうなる業縁がうながしたならば、どんな行動をするかもしれない」「自己」であると同時に、「現にこの通りの業をもっている身であるのに、たすけようと思い立たれた本願のかたじけなさ」を仰ぐ「自己」でもあります。「地獄は確かである」ということと、「浄土往生は確かである」ということが、同時に成立しているのです。これは論理的にいえば矛盾です。しかし、それが私の中に生きる事実として受けとられるところに、浄土真宗の宗教的経験があるといえましょう。このことをもう少しわかりやすくいうと、こういうことです。


◇捨機託法◇


 真宗の教えでは、「捨機託法(しゃきたくほう)」ということを申します。これは、初めにも申した信心の内容としていわれる「二種深信(じんしん)」にかかわることで、浄土の教えでの宗教的経験を明らかにするものと考えられます。「機を捨てて法に託す」というのは、罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の自己であっても、そのことにとらわれずに、全面的に救済の教えに乗託するということで、それが他力回向(たりきえこう)の信心の真髄です。「機法二種深信」といっても、自分のあり方を反省して罪悪深重でどうすることもでき ないと考えたり、また、自分のことは棚上げで弥陀の本願によって浄土に往生できると思ったりすることではなく、本当に己を捨てて本願に信順することをいうのです。聖人は東国の門弟へのお手紙のなかで、そのことをわかりやすく、



    はじめて仏(ぶつ)のちかひをききはじむるひとびとの、わが身のわろくこころのわろきをおもひしりて、
    この身のやうにてはなんぞ往生せんずるというひとにこそ、煩悩具足(ぼんのうぐそく)したる身なれば、
    わがこころの善悪をば沙汰(さた)せず、迎へたまふぞとは申し候へ



とおっしゃっています。この文章の意味は、はじめて如来の本願を聞いて、自分の身も心も罪悪深重(ざいあくじんじゅう)であることを知り、こんな私ではどうしても浄土往生ができようかという人には、私たちはすべて煩悩をそなえた身であるから、私の心の善し悪しを問題にしないで、如来は必ず浄土へ迎えてくださる(ことを信じる)のだと教えなさい、といわれているのです。
 このお手紙は、念仏者は「悪行をおかしてもさしつかえないのだ」と主張する「造悪無碍(ぞうあくむげ)」の徒を厳しく退けるのが主眼ですが、一方では、罪の意識にとらわれることも誤りであることを明確に示されています。救済の法だけを取りあげて、どんな悪いことをしてもかまわないと考えるものも誤りなら、自分の悪人であることにとらわれて、私などは救われないと思い込むのも誤りだとされています。いずれにしても、自分のあり方(機)にとらわれるのでもなく、自分ぬきで本願の教え(法)を仰ぐのでもなく、自己のあるがままのすべてをあげて教えに信順することこそ「真実信心」であって、それを「機法二種一具の信」というのです。


◇和三郎さんのこと◇


 こうした浄土真宗の宗教的経験が、生きた事実として伝えられる例は、それほど多くはありません。その中から、私が深く感銘したものを次に紹介しましょう。私が大学時代に指導をいただいたのは、武内義範先生ですが、先生が昔お書きになった「真宗教化の問題」という文章があります。そこにはこういうことが書かれています。
 武内先生は、三重県四日市市の真宗高田派のお寺の住職でいらっしゃいますが、先生が若い時に、あるご門徒の老人と、親しい交わりをむすばれていました。この老人は、和三郎さんという方で、武内先生が親しくされた頃は、七五歳位だったようです。和三郎さんは、それより二十年ほど前に眼を患われて、失明されているのです。そういう人生の大きな逆境に直面されたのですが、すでに四十歳頃から親鸞聖人の教えを聞いておられたので、そうしたときに、人々のすすめるまじないなどの迷信・俗信にはいっさい耳をかさず、ひたすら聴聞をかさねておられたわけです。
 武内先生は、大学を卒業されたばかりの頃だったようですが、この老人の聞法中心の真摯(しんし)な生き方に強くひかれ、浄土真宗の教えについて、自分の考えをお話になったり老人の話を聞かれたりして、おふたりには、老若の年齢をこえてお互いに深く通じるものがあったようです。
 そういうおつきあいを続けていらっしゃったあるとき、一つの事件がおこります。それについては、先生のお書きになった文章を引かせていただきます。さてその頃、私は東京の求道学舎で友人I君の紹介によって、近角常観先生の御教示をあおぐことができた。それは先生の晩年のことで、そのときうけた感銘(かんめい)を私は終生忘れないであろう。先生のお声は今もなお耳朶(じた)にひびき、先生の御教の深さは、汲み尽くし得ぬ真理として、現に私の胸に泉の如くに湧き出ている。しかし私は、先生の期待せられた如くに、真宗の真理に深く徹し得なかった。先生の御厚恩を偲ぶごとに、今もなお信仰浅き私を痛感せざるを得ない。だが一時は、赤熱(しゃくねつ)せる先生の信楽(しんぎょう)の炬火(きょか)は、不良導体の私の心までも、同じ高熱に燃え上がらせた如くにも見えた。その様な感激の中に、私は和三郎老人に、近角先生が教えて下さったことを詳しくかたった。私が最後に近角先生にお別れする時。先生が、「他力ですよ、他力ということを忘れてはなりません」と言われたことをこの老人に語ったとき、彼は深い感慨(かんがい)をこめて「そうですか、御他力ですぞ、御他力ということを忘れてはならぬ、と申されましたか」といった。それから四、五日後、土砂降りの雨の日の午後、彼は小さな孫娘に手を引かれて室へ招じ入れると、彼はいきなり「私は長い間、聞かせていただきながら御  他力ということを忘れていました。勿体(もったい)ないことでございます。申し訳ないことでございます。」と震える両手をついて懺悔(ざんげ)した。とざされた両眼からは涙がぽたぽたと畳に落ちた。私は今、私の目の前に起こっているこ  とが何であるかをしった。…この老人の三十年の努力がついに最後の嶺をもふみこえしめたのであった。それにしても、易行道の真宗の道の如何(いかが)に  やさしくてけわしいことであるか。私は深い感動と、顧みて浅薄(せんぱく)なる自己の姿に慚愧(ざんぎ)の面が上げられなかった。…     
 和三郎さんはそれまでも熱心なご門徒だったのですが、ここに記されているときに、まさに「捨機託法(しゃきたくほう)」されたのです。浄土真宗で回心とか、宗教的経験ということをいうなら、こういうものだと私は思います。
 ここでお話をなさっているのは、まだ若い学生さんの武内先生ですし、聞いているのは七十歳を超えた老人の和三郎さんです。和三郎さんは武内先生の言葉を、若い学生の言葉として聞いているわけではありません。武内先生が伝えられた「他力ですよ、他力ということを忘れてはなりません」という言葉を、近角先生の、さらには近角(ちかずみ)先生をも超えた真実の言葉として聞いておられるのです。この言葉の中に、和三郎さんは、自分のはからいや、とらわれといったものをすべて捨てさせるものを聞かれたのです。それと同時に、自分のすべてを受け入れて下さる力をも感得されたのです。そういうことが信心をいうことであり、また信心開発ということです。
 親鸞聖人が、私たちに伝えようとなさったことは、このことであったのです。人間が、自分のはからい、自分の能力、自分のとらわれというものにとどまっている限り、真実の信心はひらかれません。どんなに微細なものであっても、それがある限り如来の真実は私たちの心にはとどきません。
 如来の真実が私たちの心にとどくのは、私たちがそうした自分のはからいやとらわれを捨てて、本願のはたらきに帰したときであり、また本願のはたらきに帰することによって、自分のはからいやとらわれがすべて捨てられるのです。とらわれを捨てるといっても、自分で努力して捨てるということではありません。本願に帰することによって捨てることができるのであり、ほんとうにとらわれを捨てたときは本願に帰したときです。とらわれを捨てることと、本願に帰することとは、ひとつなのです。
 和三郎さんはこのことに気づかれたのです。眼の悪い方ですから、それまでもおそらく懸命に聴聞を重ねておられたことでしょう。しかしそれでも「他力」ということに気づかなかった、そのことに今気づいたというのです。気づかなかったことに気づくという、まさにそこに信心開発ということがあるのです。武内先生は、「易行道(いぎょうどう)の真宗の道の、如何にやさしくてけわしいことであるか」と記されていますが、浄土真宗の教えというものはまことに容易なようで困難な道といえましょう。


◇よき人の仰せ◇


 それはともかく、ここには浄土真宗での宗教的経験の肝心なことがあらわれています。それは、そうした信心開発にいたるには、「よきひと(全知識(ぜんぢしき))」の真実の言葉というものが、決定的に重要だということです。もとより、人間の語る言葉がすべて真実ではありません。むしろ日常では、私たちはほとんど真実でない言葉しか語っていないといってもよいでしょう。「妄語(もうご)・綺語(きご)・両舌(りょうぜつ)・悪口(あっく)」といわれるように、うそいつわり、かざりたてたことば、二枚舌、わるくちなど、人を傷つけたり困らせたり、場合によっては死にいたらせるようなことさえいうことがあります。それに対して。私たちを永遠の生命へ導く教えは、真実にふれた人(よきひと)の語る真実の言葉で伝えられるのです。その真実の言葉、それは究極のところ「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」という言葉であるといってよいでしょう。その「南無阿弥陀仏」は、時と場合でいろいろに語られます。さきに記した近角先生の「他力ですよ」という言葉も、それにほかなりません。「南無阿弥陀仏」は呪文ではありませんから、いつも「南無阿弥陀仏」ではなく、そのこころがさまざまの言葉となって表現されます。「帰命尽十方無碍光如来」でもあり、「南無不可思議光如来」でもあります。また親鸞聖人は「本願召喚(しょうかん)の勅命(ちょくめい)」といわれ、善導(ぜんどう)大師は「二河白道(にがびゃくどう)の譬喩(ひゆ)」のなかで「なんぢ一心に正念してただちにきたれ、われよくなんぢを護らん」とおっしゃています。どんな言葉でいわれても、それが私たちに「すべてのはからいを捨てて本願に帰する」ことを呼びかけているならば、それは「南無阿弥陀仏」です。そしてそれを伝える人こそ「全知識(ぜんぢしき)」と申せましょう。親鸞聖人が法然上人のことを「よきひと」と讃仰されたのは、聖人にとって法然上人は、本願の念仏を伝えられた全知識であったからです。その「よきひとの仰せ」が私たちを生命の源へ導くのです。
 人間の言葉が真実の言葉として語られるのは、そのときだけです。よく知られた「煩悩をそなえた凡夫、火につつまれた家のように無常のこの世界は、すべてのことが、みなそらごとたわごとで、まことがないのに、ただ念仏だけがまことである」という聖人のお言葉は、それをいっているといってよいでしょう。
 宗教的体験というものは、日常的な経験とは異質ではあっても、決して異常な経験ではないと申しましたが、それは、こうした経験に似たことは他の場合にも起こるからです。立派な指導者に会って心からその人を信頼し、生涯その人を師として指導を受けるというようなことは、学問や芸術、あるいは一般の仕事の場合にもあることです。ただそういう経験と宗教的経験の異なるところは、そこでの問題が「生死出離(しょうじしゅつり)(この迷いの世界を離れる)」にかかわるという点です。「よきひと」との出会いと、そこで語られる真実の言葉によって、私たちが「生死輪廻(りんね)」から解放され、永遠の生命を得る道に導かれるということは、宗教的経験においてだけ可能なことです。もとより、一人ひとりの経験は別のものですから、すべて同じ内容の経験ではありません。師と仰ぐ人から直接教えを聞く場合もあるし、書かれたものを読んで気づく場合もありましょう。耳の底に残っていた師の言葉が、あるときふっとよみがえって、そこで初めて教えの根本にふれるということもあい得ます。いずれにしても、それを通じて私たちが、自己を捨てて本願に帰するとき、そこに浄土真宗の宗教的経験が現前しているのです。


■現代人と宗教⑤


 宗教的経験―それは自己のありのままの姿を知り、その自分に向けられている救いに目覚めていくことといえるでしょう。「よき人」との出遇い、真実の道の確かにあることに気づかされたとき、人はどのような境地におかれるのでしょうか。今回は、宗教的経験と、その後の人のありようについて述べていただきました。 


◇出会い◇


 浄土真宗の宗教的経験について、もう一つの生きた例を紹介しましょう。それは、もう亡くなりましたが、以前に大谷専修学院の院長をしていらっしゃった信国淳先生の「いのちは誰のものか」という本のなかに記されている「出会い」という文章です。この文章からも、私は深い感銘を受け、いつまでも忘れることのできないものとなっています。ここにもやはり、浄土の教えの神髄(しんずい)が語られていると思うのです。
 信国(のぶくに)先生はこういうふうに書いていらっしゃいます。長くなりますが、過不足のない本当に立派な文章ですので、できるだけ原文を紹介したいと思います。  
  私もやがて六十歳になるのであるが、今、自分の過ぎ経てきた生活の跡を振り返ってみて、そこに自分として何一つ仕出かしたということもみつからぬので、こんなことでよかったのかと、今更追いつかぬ話ながら、自分でも思ってみたりするくらいである。しかしそんな私にも、その六十年の生活の或る時期に、一つの「新しい生」とでもいわねばならぬものが、ふと生活そのものの底から立ち現れ、それが私のために、私自身の生きるべき一つの確実な道になり、爾来(じらい)ずっとその道を私が歩み続けて今日に至っているということだけは、今にして私にいよいよはっきりしてきた事実である。
 還暦(かんれき)に近くなられた頃の信国先生は、過去を振り返って、そこに或る時期からまっすぐに歩んでこられた一筋の道のあることをあらためて確認なさっているのです。その道は自分の切り開いた道というものではないが、「確かに私に与えられてきた一筋の道」であって、「私がたまたま此の世に生まれ、ここで何か自分で〈生きた〉ということがあるとするならば、私はただそのような道に私が出会い、その道をいちずに歩み、今なお歩み続けているという、そのこと一つがあるだけである」とおっしゃっています。ここには実に見事に、新しい生の開けというものが語られているように思います。よく見られる信仰告白のように、おおげさな感情過多の言葉ではなく、控えめに静かに語られている文章ですが、宗教的な生の肝心なことをこれほど見事に表されたものを私は多く知りません。
 その道は、青春のある日、ふと出会った希有(けう)な「人」、生きた「念仏者」との出会いから始まった、と先生は記されています。「何かにつけ、自分が自分で持ちきれず、自分自身が自分にとって不安であり、ややもすると自分と自分自身との間にずれが生じるので、終始自分自身の前で浮き足立った恰好(かっこう)で生きるよりなかったその頃に、―私にもなおいくらかの青春の残っていた頃に、私は図らずもその〈人〉に出会ったのである」。誰にも経験のある混乱と動揺の青春期、その時期に会うべくして会う、それがほんとうの出会いなのでしょう。「その〈念仏の人〉に会い、その〈人〉を間近に見、その〈人〉の語ることばを初めて聞いたそのことが、私のすべてを一挙に決定した」。その出会いを先生は次のように書かれています。  
私は、「その人」に出会ったその夜、―それはちょうど、冬のさなかの、ものみな凍(い)てつくかと思えるほどの厳しい寒さの夜であったが、―家に帰って、昂奮(こうふん)して、妻に向かってしゃべり散らした自分のことばを今思い出  して、その異様さに、自分ながらちょっと驚かざるをえない。
「…私は浄土に往く。浄土が何処(どこ)にあって往(ゆ)くのではない。浄土を思想的に考えたり、感傷的に捉(とら)えたりして、そこへ往くというものでも毛頭(もうとう)ない。私が浄土へ往くという理由は簡単だ。私は今夜、念仏して浄土に往く人、を見てきたんだ。この眼ではっきり見てきたんだ。ただそれだけ。それでもう充分。私はこの人を信じる。だから、私も浄土に往く、ということなんだ。さあ、君はどうするか?君も私と一緒に往くか?どうするか?…しかし、それは君自身決定すべき問題だ。とにかく私は往く」

 この言葉を、先生自身が「その異様さに、自分ながらちょっと驚かざるをえない」といわれていますが、しかしそこにはまぎれもない一つの事実が語られています。親鸞聖人が法然上人に出会われて、「たとえ法然上人にだまされもうして地獄におちても、けっして後悔はしない」といわれたそのお気持ちと違わない気持が、ここに記されています。先生はさらにこういわれます。
  この多生狂気染みた私のことばも、今これをあらためて考えてみると、これはこれなりに、その時の私の上に起こっていた、一つの「新しい生」の胎動というか、何かそういうものの表現に、或いはすでになっていたかと思えるのである。つまり私には、私自身を超えて生きるいのちの道というものが、私自身の知らぬ間に、どうやらそういう形を取りながら、私の具体的な生活のただ中で、すでに自発的に、それ自身から、開け始めていたのではないかと思えるのである。そして右の気違いめいた私のことばも、またそれなりに、その私の身に起こっていた一つの「新しい生」の予感であり、その意味で、すでに「新しい生」そのものの自己表現にほかならなかったのではないかと思えるのである。


◇新しい生◇


 「教え」との出会い、その「教え」を体得した「よき人」との出会いというものは、こういうものではないでしょうか。親鸞聖人が法然上人に出会われたときのお気持ちも、まさにこういうものであったかと思われます。信国先生の「私は念仏して浄土に往く人を見た」、「私はこの人を信じる」というその言葉には、その言葉を超えた動かすことにできない真実というものがこめられています。こういうふうにいわざるを得ないけれども、そこでいおうとされていることは、その表現を超えた、言葉にならない真実なのです。あるいは深い感動といってよいかもしれません。自分を根底から動かし、新しくつくりかえる真実、それが、「人」となって目の前にいるという感動、それがここに書かれているのです。「その〈人〉に出会ってみて、私の求めていた〈人〉が、ついに〈この人〉だったということを私は初めて確認できた」と先生は記されています。
 信国先生のいわれているこの「念仏の人」とは、よく知られている池山栄吉先生のことであろうと思いますが、ここで大切なことは、信国先生を動かしたのは池山先生の人柄とか指導力とかいうものではないということです。それぞれの出会いは、それぞれの時、場所、人というものをもっています。それはそれでかけがえのないものであり、動かしえないものです。信国先生にとっては、このようにして出会われた池山先生は「よき人」であり、終生の師であったでありましょう。しかし、それがそのまま誰にもあてはまるというものではありません。信国先生が書いておられるように、この池山先生との出会いによって、信国先生自身を超えて生きるいのちの道が、先生の知らぬ間に、先生の生活のただ中に、自発的に開け始めていたことが明らかになるという、自分を超えたいのちの道の開け、それがこの時、この人との出会いをきっかけとして、自覚にのぼるということなのです。「出会い」ということの意味はそこにあるといえましょう。
 人間は眼に見えるもの、耳に聞こえるものにとらわれ、それに頼ろうとします。しかし感覚に与えられるものは本当に頼るべきものではありません。どれほどすぐれた人であっても、人間であるかぎり他の人を導くことはできません。人を導くのは、人間を超えた「教え」であり「道」なのです。それは人間の言葉で伝えられ、人によって語られます。しかし、人間が人間を導くのではありません。したがってこの場合、それを語る人がその「教え」を自らのものとしているかどうかが、決定的に大切なことなのです。信国先生を心の底から揺り動かしたのは、池山先生自身が本当にいのちの道を歩む「念仏の人」であったからであり、「念仏の人」である池山先生を信国先生は信じられたのです。このことが誤解されてはなりません。
 親鸞聖人は『教行信証』の総序に、「たまたま行信を獲たならば、遠く宿縁をよろこべ」とおっしゃっています。聖人も、法然上人に導きによって本願念仏の道に記入された時、その道が遠い昔から自分のために用意されていたのだとお思いになったに違いありません。確かに法然上人によって教え導かれたのであるけれども、それはすでに準備され、自ずから開けるべくして開かれた道であったのであり、それだからこそ聖人は「よくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がため」といわれたのです。
 浄土の教えに全知識によって導かれることは、決して個人崇拝ではありません。「この人の歩んだ道を私も歩む」というと、何か個人を絶対化しているように見えますが、その道は個人の開いたものではなく、如来(目覚めた人)によって明らかにされた真実の道なのであり、その道を歩む人たちによって次々に伝えられてゆく道なのです。だからこそ、親鸞聖人は法然上人を還相の菩薩と仰がれ、み仏の化現と見られたのです。
 信国先生は、最後にこう書いておられます。
ところで、そうしてしゃべり続ける私の言葉を、私の前で、じっと頭を垂れて拝聴していたかに見えた妻が、そのとき、私が右のように言い終えるか終えぬかに、「わあ!」と大声あげて泣き出したのには、実はこちらの方が、思わず息をひそめねばならぬほどびっくりした。そしてそれが、後にも先にも私の見た、たった一度の妻の慟哭―といってしまっては、愚妻なお健在中の今日として、いささか厳密を欠く嫌いがあるわけだが、或いは事実そういうことになるかも知れず、何にしても一応そういうことにしておいて、この回想を終わることにいたしましょう。
 先生が思いを定められた気持を語られるその言葉を聞いて、深く感動された奥様のお心が、少しためらいながら記しておられる先生のこの文章を通して、私たちにも伝わってきます。その時の奥様のお気持ちは、説明する必要のないことでしょう。もっとも身近なご主人に起こった精神的転機を直接耳にして、奥様自身も心を動かさずにはおれなかったのでありましょう。いやそれは、人ごとではなくて自分自身のこととお聞きになったのかもしれません。「教え」によって人がよみがえるということは、それほど大きな力をもつものなのです。 いずれにせよ、宗教的経験というものは、決して異常な、精神的な錯乱といったものではなく、迷ったり絶望したりしている人間を新によみがえらせ、本当に「生きている」という自覚を与え、自分の人生はこのことのためにあるのだと確信させるような道へ導くものであるということが、この信国先生の文章からも理解することができましょう。


◇宗教的生◇


 それではこうした宗教的経験を通してどのような生が開かれてくるのでしょうか。宗教的経験そのものは一つの転機であり、そこにはそのままいつまでも持続するものではありません。私たちは生きている限り日常生活へもどってこなければならないのです。ただその日常生活は、宗教的な転機以前のままではありません。といって浄土門では、別に後光のさすような聖者の生活ではありません。そこにやはり「新しい生」というべきものが成立するのです。それは、信国先生もいわれているように、与えられた「道」を「一途に歩み続ける」というような、ゆるぎない生といってよいでしょう。
 アメリカの哲学者であり、また心理学者でもあったウィリアム・ジェイムズは、その『宗教的経験の諸相』という有名な著書の中で、こういうことをいっています。宗教的な人間とはどういう人をいうのかというと、それは「霊的な感情をいつでも人格的エネルギーの中心としているような人」である。あるいは、スターバックという人の言葉を引いて、こうもいっています。宗教的な態度を確立した人は、「その宗教的感激がどれほど衰えることがあろうとも、あくまでも宗教的生活を自己の生活と感ずる傾向がある」。宗教的生というのは、自分の生き方、ものの見方や受け取り方、いろんな場合の態度の取り方などにおいて、その中心のところに宗教的な考え方が確固とした位置を占めているということです。もちろん人間は、社会生活を営む上で、多くのことにかかわらなければなりません。家庭や社会、地域社会などでそれぞれの役割を果たすことは当然のことです。しかし、そうした立場を離れて、自己自身の根本的な在り方というところで、宗教的人間はその最後の拠りどころを宗教的な世界に見いだしているのです。


■現代人と宗教⑥■


 宗教的生とは、自分を捨てて教えの中に生きていくことであるといえるでしょう。では「自分を捨てる」とはいったいどのようなことでしょうか。とくに念仏のみ教えに生きる私たちにとって、それはどのようなものであるべきなのでしょうか。この講座を締めくくっていただくにあたって。生きることの意味を念仏のみ教えに求めるという道が如何なるものであるかを語っていただきます。


◇自分を捨てる◇


 宗教的経験ということから、そこに開かれてくる宗教的生について述べてきましたが、最後に浄土の教えに生きる私たちの宗教的生というものはどのようなものかということを、もう少し立ち入って考えてみなければなりません。その場合にも「二種の深信」ということが、大きな意味をもってきます。
 先に紹介した武内義範先生とともに、私が学生時代からずっとお導きいただいたのは西谷啓治先生です。西谷先生は世界的にも著名な哲学者で、多くのすぐれた業績を残されていますが、先生の随想集の『風のこころ』という本に収められた「信仰といふこと」という文章です。そこで先生は、信仰にはいつでも「自分を捨てる」ということがなければならないこと、「自分を捨てる」ということは「神とか仏とかに自分のすべてをうちまかせて、神の生命或いは仏のいのちに生かされる」ということであるが、そのことの難しさが信仰の難しさであるということを、実にみごとに語っていらっしゃいます。
 西谷先生はこう言われています。一般に人間が宗教的な生活、すなわち自分を捨てて神や仏に仕える生活に入ったという場合でも、そして自分でもそう思い、他の人々にもそう思われる場合でも、なかなか本当には自分というものが捨てきれない。神とか仏とかに仕えるということとは正反対な、我意我欲がたえず頭をもたげてくる。だから東洋でも西洋でも、聖者といわれる人々の多くは、信仰の生活に入った後でも、禁欲的苦行をして我意我欲と闘うことに専心したのである。しかしそういう表面に現れてくる我意我欲のみならず、もっと隠れたところになお問題が残されている。つまり、自分を捨てて神に仕えるという生活のうちに、何か自分が他の人々の達し得ない高い所に達したという意識、他よりも勝れたものになったという誇りの気持ちが表れてくるということである。…自分を捨てて神に仕えるというそのことが、ふたたび自分が自分に使えるという意味へ戻ってくるということである。自分を神や仏とかに献げるということが、知らず知らずいつの間にか神や仏を自分自身に献げ、神や仏を私しているという形になる。神や仏を笠に着るという形になる。そして信仰を持たないものや異教徒の者を見下すようになる。浄土門でいわれる「本願ぼこり」である。


◇本願ぼこり◇


 「本願ぼこり」というのは『歎異抄』の大十三節に出てくる言葉ですが、一般に「本願にあまえてつけあがる」ということで、罪悪深重の自分をほったらかしにいて、本願をかつぎまわるというような、一つのとらわれを意味します。西谷先生は、そういう態度はどの宗教にも起こり得ることで、「信仰ということのうちに、自分と他とを比較する意識があり、いわゆる〈勝他〉の気持がある限り、神とか仏とかを私しているような心状、誇り高ぶる高慢の心が必然的に現れてくる」といわれ、それは、「信仰といわれるもののうちに信仰以前の心、信仰とは反対の心が出てくること」であり、「自分を捨てたという立場が一層深い〈我〉の立場になるということ」であって、「そうなりやすいところに、信仰の厳しさがあり、信仰というものが、きびしさのうえにもきびしさを要求するところがあると思われる」とおっしゃっています。
 このように「信仰の生活といわれるものの根底から、信仰とはおよそ反対のもの、反信仰的なもの、即ち我欲とか、権力欲、名誉欲、利欲とかいうようなものが、信仰の衣を着て出て来る」というような堕落の源は、「信仰というものの難しさ、自分を捨てるという道のきびしさが忘れられて来ることにある」のであり、そういう信仰の内部にひそむ逆転の危険に対して、宗教はつねに用心深くいましめてきたのであって、浄土門で「自分が極悪人だと自覚すること、或いはむしろ自覚せしめられることが、心の根本的な一契機になっている」のは、「信仰による高ぶりの危険を破り、信仰を正しい信仰に導く道を意味している」とされています。ここで言われているのは、「機の深信」のことで、それが浄土真宗では、「法の深信」とともに「信心」の内容になっていることは、先に述べたとおりです。


◇フランシスのこと◇


そこで、そういう信仰の内部にひそむ高ぶりの危険をもっとも深く、敏感に感じ、またそこで、「自分を捨てる」ということをもっとも厳しく遂行していった人として、西谷先生があげられるのはアシジのフランシスです。フランシスはキリスト教の聖者で日本の鎌倉時代にあたる頃の人です。彼は若い頃は放蕩な生活をしていましたが、戦いに参加して負傷したり、重い病気にかかったりして心をひるがえし、信仰の道を進むようになったのです。その彼が、信仰の生活においてどのように「自分を捨てる」ということを徹底していったかを示すものとして、西谷先生は次のようなエピソードを記しておられます。先生の書かれていることを要約して紹介しましょう。
―ある冬の寒い日、フランシスは弟子の修道士のレオと一緒に、ペルジアの町から隣町のサンタ・マリアの協会へ行きました。ひどい寒さのなかでふるえながら歩いていました。その時、フランシスは少し前を歩いていたレオに呼びかけます。「兄弟よ、私たちの仲間が、全世界に聖者の道の偉大な模範を示すようになったらいいがと私は思う。がしかし、完全な歓びというものはそういうところにはない。そのことをよくおぼえておきたい」。それからすこし歩いたのち、また呼びかけて言います。「兄弟レオよ、私たちの仲間が、眼の見えない人を見るようにし、病人を治し、悪魔を追い出し、耳の聞こえない人を聞こえるようにし、歩けない人を歩けるようにし、それどころか四日間も死んでいた人を蘇らせたとしても(これらはイエスが行った奇跡として聖書に出てくる事柄)、完全な歓びはそこにはないということを、よく覚えておきなさい」。またすこし行ったところで、彼は大きな声で言います。「兄弟レオよ、たとえ私たちの仲間が、あらゆる国の言葉、あらゆる学問、あらゆる書物を知り、また予言の力をもち未来のことはもちろん、人間の意識や魂のいろいろな秘密さえも明かす力をもったとしても、そういうことでは完全な歓びにはならないと言うことを覚えておきなさい」。また少し行って言います。「兄弟レオよ、たとえ私たちの仲間が、天使の言葉を話すことができ、星の運行や植物の性能を知り、鳥や獣、あらゆる動物、人間、木、石、水の性能をことごとく知ったとしても、そこには完全な歓びはない、ということをよくおぼえておきなさい」。そこでとうとうレオはフランシスに申します。「父よ、では完全な歓びはどこにあるのですか、教えてください」。フランシスは答えます。「私たちが雨にずぶぬれになり、寒さに凍え、泥にまみれ、餓死しそうになってサンタ・マリアの教会について、扉をたたく。すると門番が怒って出てきて言う。〈おまえらは誰だ〉私たちは答える〈あなたたちの兄弟たちの二人です〉。〈うそをつけ。おまえらは世間をだまして歩いて、貧困な人々の施物を盗む極道者だ。あっちへ行け〉。彼は扉をあけてくれない。私たちを雪と雨の中でふるえ、飢えたまま、夜まで外にたたせておく。そういう場合、もし私たちが、そんなに虐待され追い払われながら、不平も言わずにじっとすべてを忍ぶならば、また、もし私たちが、この門番は私たちが真実どんなに極道な人間かということを知っているんだ、神が彼をして私たちのことを私たち自身にむきつけに語らしめたまうのだと、謙遜(けんそん)と愛とをもって考えるならば、そこにこそ完全な歓びがあるのだ」。―

 
◇増上慢と卑下慢 ◇


西谷先生はこのエピソードをめぐって、フランシスが「人間に誇りと歓びを与えるすべての貴いもの、聖者の道、奇跡を行う力、いろいろな知恵、いろいろな科学、さらには宗教的な強化活動すら含めて、そこには完全な歓びはないということ、そして完全な歓びは、自分が世間をだまして施物を盗む極道者だという自覚、それゆえあらゆる苦悩や恥辱(ちじょく)や虐待を神からの賜物(たまもの)として、喜んで受け取るという忍耐、謙遜(けんそん)、愛にあるということを語っている」といわれ、さらに「そういうところまで徹底して初めて、本当に自分を捨てて神に仕えるということになり得るのかと思われる」とおっしゃっています。フランシスはキリスト教の聖者ですから、このような表現になっていますが、「完全な歓び」というのは、本当の宗教的な境地ということであり、親鸞聖人の教えでいえば、『教行信証』の『行巻』でいわれる『歓喜地(かんぎじ)』ということにあたると言ってよいでしょう。先に言ったように、信仰の生活の真の喜びは、心の底の深いところにあるおごりや高ぶりから離れて、謙虚な生き方に徹底するところに生まれると言うことであり、それは自分が「罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の凡夫」であることを信知する、あるいは信知せしめられるところに生じるということなのです。それが「機の深信」であることは重ねて言うまでもないでしょう。
 しかしさらにもうひとつ、そういう謙遜(けんそん)の心も、「それが信仰的反省のきびしさを欠く場合には、また高ぶりに変わる」ということを西谷先生は指摘されています。すなわち「本願ぼこり」とは逆に、自分は極悪人である、罪人であるということを誇るというか、それに居直るというか、いわば「悪人ぼこり」「罪人ぼこり」の心状が出てくるのです。前者の増上慢に対して、卑下慢という形での「我」の現れです。西谷先生は「我」というものは「法の深信」の衣を着てても現れ得るし、「機の深信」の衣を着てても現れ得ると言われています。それは人間の宗教的意識の非常に深いところまでに達する洞察であると言えましょう。自分は悪人だということにとらわれ、それから一歩も出ないで頑固に自己を主張するという態度です。それを破るのは何かと言えば、本願のはたらきはいかなる悪人をも救済するという教えへの全面的な信順しかありません。すなわち「法の深信」です。このように浄土真宗の教えは、「本願ぼこり」と「悪人ぼこり」との二様のとらわれを根本的に破って、本当に徹底的に如来の本願のはたらきに委託することが、私たちの歩むべき道であることを示しているのです。
 最後に西谷先生は、フランシスが「主よ、汝の御心のままになしたまえ」という気持ちを経験して、その即座に自分が救われたと感じたという話を記され、「そこが、彼が自己を全く捨てきった所であったかと思われる」として、そこにまた親鸞聖人が、「自然法爾(じねんほうに)」と言われたようなところが感じられると言われています。そして「信仰ということは、最後には、〈自然〉に帰り、〈自然〉のままになり果てること」であり、「単純である信仰のきびしさは、結局単純へ帰ることのきびしさ」「〈自然〉の安らかさに帰ることの難しさ」、「もともとの〈ありのまま〉に帰ることの難しさ」、「〈この身このままで〉救われることの難しさ」であるとおっしゃっています。


◇信心の生活◇


 信仰の生活のきびしさということを多く申しましたが、もとより私たちのすべてが、フランシスのように、徹底した信仰の生活をすることができるというわけではありません。それどころか、親鸞聖人の教えを聞いていても、日常では本当にお粗末な生き方でしかできないというのが、私たちのいつわりのない現状です。しかし聖人がどういう道を示していらっしゃるかを知らなければなりません。「他力易行道」と言われながら、同時に「往き易くして人なし」と言われるのは何故なのか。それは私たちの心の奥底に容易に捨てきれない「自分」というものがあるからです。その自分が本当に捨てられるところが「信心開発」のところであり、、「機法二種の深信」が「深心」として成ずるところなのです。昔から「至心信楽(ししんしんぎょう)、己を忘れて弥陀をたのむ」と言うことを申します。聖人も「ともかくもはからはで、ただ願力にまかせてこそ」とおっしゃっています。そこには、浄土往生は凡夫のはからいですべきことではない、と言われているのですが、それだけでなく、念仏門においては、およそ「はからい」があってはならないことをくりかえして教えておられます。「自然(じねん)」ということも「行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ」と記されています。そのように徹底して自分を捨ててゆくところにこそ、罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の私たちが救われてゆく「無碍(むげ)の一道」があることを思わずにはおれません。



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