【原典版】
憶念弥陀仏本願 自然即時入必定


唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩


【註釈版本文】
弥陀仏の本願を憶念すれば、 自然(じねん)に即のとき必定にはいる。


ただよくつねに如来の号(みな)を称して、 大悲弘誓(ぐぜい)の恩を報ずべしといへり。



【意訳】
阿弥陀仏の本願を信ずれば、 仏力によってただちに正定聚に入る。


ただよく恒に如来の名号を称えて、本願大悲の恩を報ぜよと述べられた。



【解説】
▼易行道の内容ー信心正因・称名報恩
 「弥陀仏の本願を億念すれば」~「大悲弘誓(だいひぐぜい)の恩を報ずべし」までの四句は、
信心正因・称名報恩ということをいわれます。
「憶念」というのは心におもうことですが、ここでは阿弥陀仏の本願を信ずることをあらわします。
「自然に即のとき必定に入る」というのは、
「自然」とは仏力によって必定(ひつじょう)の身にならせていただくことであり、「即のとき」とはただちにということです。
本願を信じたならば仏力によってただちに必定の位に入る。
これは死後のことではなく現生に正定聚不退(しょうじょうじゅふたい)の身にならせていただくことです。
しかも本願を信ずるひとつで正定聚不退の身にならせていただくのですから信心正因ということになります。
 「ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべし」というのは、
称名報恩(しょうみょうほうおん)ということです。
「つねに」というのは常平生(つねへいぜい)のことですから、
本願を信じて正定聚の身にならせていただいた上からは、日常お念仏を相続させていただき、
広大な本願のご恩を感謝しなければなりませんといわれるのです。
浄土真宗は本願を信じ念仏して、浄土に往生して仏となる教えですが、お念仏は往生するために称えるのではなくて、
広大な仏恩に感謝する行業であるといわれるのです。
最後に「といへり」とあるのは、龍樹菩薩はそのようにいわれているということを示されるのです。


                                                   灘本 愛慈 先生