◇白骨の章
葬儀や中陰の法事などでしばしば拝読される「白骨の章」は、無常観をそそる御文章としてよく知られています。今回は、この「白骨の章」について講じていただきました。『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』や『無常講式』など、この御文章が成り立った背景にふれるとともに、「はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり」とお示しくださった蓮如上人のおこころを、しっかりと味わわせていただきましょう。

※学習のポイント
 (1)これを機会に正しい浄土真宗の葬儀について学びたいものです。
 (2)日頃から御文章に親しむために、すすんで拝読するようにしましょう。

【註釈版本文】
 それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、
まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。さればいまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりといふことをきかず、
一生過ぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。
われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。
 されば朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり。
すでに無常の風きたぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ち、ひとつの息ながくたえぬれば、
紅顔(こうがん)むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりてなげきかなしめども、
さらにその甲斐あるべからず。さしてもあるべきことならねばとて、
野外におくりて夜半(よわ)の煙(けぶり)となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかて、
阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

【意 訳】
 さて、人間の定まりない有様をよくよく考えてみますと、およそはかないものとは、
この世の始めから終わりまで幻のような一生涯であります。
だから、人が一万年生きたということを聞いたことがありません。
一生は過ぎやすいものです。末世の今では、いったい誰が百年間身体を保つことができましょうか。
私が先か、人が先か、今日かもしれず、明日かもしれず、おくれたり、先立ったり、人の別れに絶え間がないのは、
草木の根本にかかる雫(しずく)よりも、葉先にやどる露よりも数が多いと、いわれています。
 だから、朝には血気盛んな顔色であっても、夕方には白骨となってしまう身であります。
現に無常の風が吹いて、二つの眼がたちまち閉じ、一つの息が永久に途切れてしまえば、
血色のよい顔も色を失って、桃や李(すもも)のような美しいすがたをなくしてしまうのです。
その時に、家族・親族が集まって嘆き悲しんでも、もはや何の甲斐もありません。
 そのままにしておけないので、野辺の送りをし火葬すれば、夜半の煙となってしまい、ただ白骨が残るだけです。
あわれという言葉だけではいい表し尽くすことができません。
人間のはかないことは、その寿命が老少定まりのない境界なのですから、
どのような人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみにして、念仏するのがよいでしょう。

あなかしこ、あなかしこ。


▼離別の悲しみを縁に…


 「白骨の章」といわれるこの御文章は、一般的には葬儀を通して拝読され、絶大な影響力を持っています。
この御文章を耳にすると、胸しめつけられる想いがする、と口にする人が少なくありません。
特に身近な人との別離において、そこにしめされる無常観には共感の嗚咽が広がることにもなります。
 ところで、勤式指導書編集の『浄土真宗本願寺派葬儀規範勤式集』によりますと
還骨勤行(かんこつごんぎょう)(遺骨となってわが家に還り、仏前に安置してつとめる勤行)において「白骨の章」を拝読する、
としるされています。もちろん現実には、臨終勤行や通夜勤行の時に、このご文章が拝読される場合もあるようですが、
どこまでも人間の無常の姿を通して、はやく阿弥陀如来に帰して、
念仏申す身になることを勧めてくださっている趣旨を私たちが受けとめることこそ肝要なのです。
 この御文章の制作についても種々の説があります。いずれもその根拠はとぼしいといえます。
ただ真偽のほどは別として、その一説が興味深いので紹介しておきます。
    蓮如上人の大坂御堂の世話をよくした人に久次郎という人がいて、他宗派に属し門徒ではなかったが、
    上人も特別に懇意にされていたようです。ところで久次郎は八人の子をつぎつぎと失って、
    ことのほかその妻が嘆くので蓮如上人に申しあげたところ、この御文章を書いてくださった。
    これを機縁に久次郎は浄土真宗の僧侶となって御堂に仕えた。
     このような経験があるために、この御文章は初めから長くただ無常のことのみとされ、
    最後のところで一言、真宗の法義がしめされていて、広く他宗の人に対する説きかたのように思える。
 
                                                          (『御文略解』の説)

▼段階的布教の教材として


 今、この説を念頭にしながら葬儀について考えてみることにします。
葬儀は親族・知人など幅広く、また数多く人々が集まる数少ない仏縁です。
しかも参列者の宗教も種々雑多の場合が少なくありません。
そして何よりも別離の悲しみを通しての無常の想いがその場にあふれています。
したがって「白骨の章」は右の一説をも考慮すれば、まさに時宜(じぎ)にかなっていて、
この御文章の拝読中に涙をぬぐう姿を目にすることもしばしばです。
 ところで、日本の現状は、平均寿命の上昇にともなって、青壮年はいうにおよばず老人においても、
自己の死を問う姿勢が稀薄になっています。長い間私たちは身近な人の死を通して、
人生の無常の相を学びつづけてきました。念仏との出遇いが肉親との別離の縁によることを多くの人々が語っています。
したがってこの場を最大限に活用する伝道がなされねばなりません。
 さらに『伝道』第一号巻頭の「布教について」のお言葉の中で、前門さま(勝如上人)が、
     いずれにしても、昔は、既に玄関にあがっている人を、奥座敷まで案内するところに、
     宗門の布教活動の重点があったわけですが、
     今日は、門の前を通り過ぎてゆくものや門の前で入ろうかどうしようかと迷っているもの、
     あるいは門には一歩入ったが、まだ玄関まで達していない人を、
     だんだんと奥座敷まで導いてゆくというような布教に、私たちは大いに考慮をはらわなければならないと思います。

と、段階的布教の必要性を指摘しておられます。私たちもそのおこころを受けるとき、
おのずから「白骨の章」の現場における活用法が浮かび上がってきます。
 

▼「白骨の章」の背景


 この御文章中に「‥‥といへり」との表現がありますが、この記述の出処は後鳥羽上皇の『無常講式』、
さらにそれを引かれた存覚上人の『存覚法語』にあるので、そのようにしめされているのです。
『無常講式』は、北条氏によって隠岐に流された上皇が仏道に帰依する生活の中で作られ、
多くの人びとの心を打つ言葉として語り広められ、
それを耳にされた存覚上人も『存覚法語』の中で引用されたものと思われます。そこでは、
    あるひはきのふすでにうづんで、なみだをつかのもとにのごふもの、あつひはこよひをくらんとして、
    わかれを棺のまへになく人あり

と述べたあとに、
    おほよそはかなきものはひとの始・中・終、まぼろしのごとくなるは一期のすぐるほどなり。
    三界無常なり、いにしへよりいまだ万歳の人身あることをきかず、一生すぎやすし。
    いまにありてたれか百年の形体をたもつべきや、われやさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、
    をくれさきだつひとは、もとのしづくすゑのつゆよりもしげし、といへり

とあります。これはほとんど『無常講式』の文を『存覚法語』にひき写されたといえます。
 さらに『存覚法語』の、
    しかれども、すなはち野外にくりてよはのけぶりとなしはてむるには、九相の転移をみず、
    ただ白骨の相をのみみれば、たしかにそのありさまをみぬによりて、をろかなるこころにおどろかぬなるべし

から「白骨の章」への文言の推移も検討すれば興味がふくらみます。
 また別の面から考えてみますと、平安時代初期の歌人である僧正遍昭の歌に
    末の露もとのしづくや世の中の
     おくれさきだつためしなる覧

があることより、世が変わり時が移っても別れの数限りないことが知らされ、その表現として、
僧正遍昭の歌→後鳥羽上皇の『無常講式』→『存覚法語』→「白骨の章」
へと一連の類似の文体となって受けつがれていることも理解できます。
 そのことはまた、つぎの「されば朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」においても考えられます。
『和漢朗詠集』にある義孝少将の歌に、
    朝に紅顔あつて世路に誇れども
    夕べに白骨となって郊原に朽ちぬ

があり、またその関連性を知ることになります。 
 以上のように和漢文学の長い伝承が「白骨の章」の中に息づいていることがわかり、
また「朝には」と「夕には」や「ふたちのまなこ」と「ひとつの息」のように対句も含まれて、
全体として記憶に残りやすい口調の良い表現になっています。
それではまったく古文の引き写しであるかといえば、やはりそこには蓮如上人の摂取の意図がうかがえます。
 それを『存覚法語』と比較してみますと、
まず『存覚法語』のこれらの部分についての表現が「白骨の章」よりも長文で詳細にわたっています。
また内容的にも、『存覚法語』は、
    そもそも弥陀如来の、深重の本願をおこし殊妙の国土をまくけたまへるは、
    衆生をして三輪をはなれしめんがためなり。
    その三輪といふは、一つには無常輪、二つには不浄輪、三つには苦輪なり

と書きはじめられ、それらの三輪について、仏教書や中国の故事などが数多く引用されていて、
それだけ格調高く難解ともいえます。特に不浄輪の説明において、人間の肉体が本来不純であることからはじまり、
やがて遺棄された死骸が刻々に変化する描写などが残酷ともいえるほどです。
 ところで「白骨の章」は表現が簡潔で無駄がなく、何よりも文章が平昜でわかりやすくなっています。
『存覚法語(ぞんかくほうご)』に比べて難しい漢語をできるだけ少なくし、内容においても三輪については、
不浄や苦については意識的にださないように配慮されたかと思える文体となっていて、
ただ無常だけが強く前面に押し出されているように受けとれます。ここにも蓮如上人の教化の姿勢がうかがえます。


▼たのみにする人生


 この御文章の肝要なところは「されば人間のはかなきことは」以下にしめされていることは言うまでもありません。
ここに蓮如上人が私たちにお勧めくださる真宗の法義が説かれているのです。
そこではまず無常なることを知らせて、私たちの安逸(あんいつ)にふける生活に警告を発し、
後生の一大事をみずからの問題とし、阿弥陀如来の本願によって信心をめぐまれたうえは、
念仏申す報謝の人生を歩むべきことが願われています。
 ここで「後生の一大事」とは、後生も迷いつづけるかあるいは浄土に往生するかの問題がなによりも大事である、
ということであって、「後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて」 では、
蓮如上人の『御文章』でしばしば表現される「たのむ」の意味を正しく受けとめることが大切となります。
 まず「弥陀をたのむ」との表現は御文章の各処でしばしば使われていますが、
「阿弥陀仏にお願いする」と理解するならば蓮如上人の意図に反し、親鸞聖人のお心にそむくことになります。
「たのむ」の語を辞典で調べてみますと
「たよりにする」「あてにする」「信頼する」「依頼する」「懇願する」などの意味が出てきます。
そこで私たちは、『御文章』を拝読するとき、フッと「たもむ」を「お願いする」という祈願・請求の意味で取りきる危険性があります。
 しかし蓮如上人の用語例によりますと、「たのむ」は「たのみにする」という依憑(えひょう)の意味であり、
決して「お願いする」という意味では使用されません。
したがって、蓮如上人が「弥陀をたのめ」と仰せられるのは、阿弥陀仏の願力をたのみにせよ、
本願召喚(しょうかん)の勅命(ちょくめい)に信順せよ、という意味となるのです。
 さらに「たのむ」の語は、親鸞聖人においては、漢字の「帰」や「信」の和訓としてしめされています。
 「帰」については『教行信証』「行巻」の六字釈に、「しかれば南無の言は帰命なり」
をうけて帰命の説明をほどこされるところで「帰」について「帰説(悦)」と解釈され、その左訓に「ヨリタノムナリ」と示されています。
 このほか「正信偈」偈前の釈では、「忠臣の君后に帰して」の「帰」に「ヨリタノム」の左訓がつけられ、
「真仏土巻」の「また帰依と名づく」の「帰」にも「タノム」の左訓がみられます。
 さらに「信」の字も「たのむ」と読まれる例として、『唯信鈔文意』には、
    本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを「唯信」といふ
と述べられ、また『正像末和讃』において『大経』の
「あきらかに仏智乃至勝智を信じ」の意を「仏智の不思議をたのむべし」とよんでおられます。
 また親鸞聖人より以前の源信和尚や法然聖人あるいは聖覚法印などのお言葉においても
「たのむ」という用語が「たのみにする」という意味で使われています。
 以上のことから「たのむ」の用語は浄土真宗の教えの流れのうえでも
「たのみにする」の意味で用いられて「お願いする」「請い求める」という意味ではないことがわかります。
 さらに蓮如上人の御文章には、「たすけたまへ」なる用語が数多くでています。
「たすけたまへ」というのは、どのようにたのみにするのか、その「たのむ」の内容を説かれたものです。

                                                             清岡 隆文 先生
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