◇御正忌の章 
 今回、取り上げていただく御文章は、蓮如上人が吉崎に滞在中、親鸞聖人の御正忌法要に際してしたためられたものと考えられています。親鸞聖人の御正忌報恩講には、近国遠国をとわず毎年たくさんの人々の参詣があります。しかしその中には、他力の信心を獲得した人もいれば、信心がなくて、口にただ念仏を称えたら救われると考える人もいたようです。その中で、この御文章をしたためられた蓮如上人のおこころについて講じていただきます。
※学習のポイント
 (1)南無阿弥陀仏の意味を整理してください。
 (2)ただ念仏さえ称えればよい、という考え方の問題点を指摘してください。
 (3)まだご縁のない方は、これを機会にご本山の御正忌報恩講にお参りしましょう。
   もちろん寺院の報恩講にもすすんで足を運びましょう。それらをご縁にして深く親鸞聖人のご苦労をしのびたいものです。


【注釈版本文】
 そもそも、この御正忌(ごしょうき)のうちに参詣いたし、こころざしをはこび、報恩謝徳をなさんとおもひて、
聖人の御まへにまゐらんひとのなかにおいて、信心を獲得(ぎゃくとく)せしめたるひともあるべし、また不信心のともがらもあるべし。
もつてのほかの大事なり。そのゆゑは、信心を決定(けつじょう)せずは今度の報土の往生は不定なり。
されば不信のひともすみやかに決定のこころをとるべし。人間は不定のさかひなり。極楽は常住の国なり。
されば不定の人間にあらんよりも、常住の極楽をねがふべきものなり。
されば当流には信心のかたをもつて先とせられたるそのゆゑをよくしらずは、いたづらごとなり。
いそぎて安心決定して、浄土の往生ねがふべきなり。それ人間に流布(るふ)してみな人のこころえたるとほりは、
なんの分別もなく口にただ称名ばかりをとなへたらば、極楽に往生すべきやうにおもへり。
それはおほきにおぼつかなき次第なり。他力の信心をとるといふも、別のことにあらず。
南無阿弥陀仏の六つの字のこころをよくしりたるをもつて、信心決定すといふなり。
そもそも信心の体といふは、「経」にいはく、聞其(もんご)名号信心歓喜」といへり。
善導のいはく、「南無といふは帰命、またこれ発願(ほつがん)回向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちその行」といへり。
「南無」という二字のこころは、もろもろの雑行をすてて、疑いなく一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなり。
さて「阿弥陀仏」といふ四つの字のこころは、一心に弥陀を帰命する衆生を、やうもなくたすけたまへるいはれが、
すなはち阿弥陀仏の四つの字のこころなり。されば南無阿弥陀仏の体をかくのごとくこころえわけたるを、
信心をとるとはいふなり。これすなはち他力の信心をよくこころえたる念仏の行者とは申すなり。あなかしこ、あなかしこ。


【意 訳】
 さて、この御正忌にこころざしをもって参詣し、報恩謝徳をあらわそうと思って、
親鸞聖人のご真影の前におまいりする人々の中には、信心をすでに得た人もあるでしょう。
また不信心の人もあるでしょう。これは何よりも大事なことです。
 というのは信心を決定しなければ、このたびの極楽浄土への往生はできないからです。
 ですから、不信心の人もすみやかに決定の信心をもつべきです。
人間界は、なにごとも定まりのない世界です。
 極楽浄土は永遠に変わることのない国であります。ですから、定まりのない人間界にいるよりも、
変わることのない極楽浄土に生まれることを願うべきなのです。
 そこで、浄土真宗において信心を本としているそのわけをよく知らなければ、むなしく、無益なこととになります。
急いで安心を決定し、浄土往生を願わなければなりません。
 ところが、世間で、広く人々が思い込んでいることは、本願名号のいわれを正しく聞きひらかずに、
口でただ称名さえとなえていれば、極楽に往生できる、ということです。これはまったく不確かなことなのです。
 他力の信心を得るというのも、特別のことではありません。南無阿弥陀仏の六字の意味を疑いなく領解することで、
信心が決定するというのです。
 いったい、信心の本質のついては、『無量寿経』巻下に「聞其名号(もんごみょうごう) 信心歓喜(しんじんかんぎ)」
(その名号を聞きて信心歓喜せん)と言われています。
 善導大師は「南無というは帰命、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちその行」
(『観経疏(かんぎょうしょ)』「玄義分(げんぎぶん)」)と言われています。
 「南無」という二字の意味は、さまざまな雑行を捨て、疑うことなく、ひたすら、阿弥陀仏を信じ申し上げるこころを言います。
 それから「阿弥陀仏」という四字の意味は、一心に弥陀の教えにしたがう衆生をやすやすとおたすけくださる、
そのわけが、阿弥陀仏の四字の意味です。
 ですから、南無阿弥陀仏のすがたをこのように領解するのを、信心を得るというのです。
 これをすなわち、他力の信心をよくこころえた念仏の行者というのです。
あなかしこ、あなかしこ。 


▼御正忌のついて 

 この一章は、「御正忌の章」といって親しまれています。
御正忌とはご存じのように、宗祖親鸞聖人の祥月命日(1262年11月16日)のことです。
 親鸞聖人は、弘長二年(1262)11月28日(太陽暦では翌年1月16日)に、弟の尋有僧都の善法院で、
お念仏のうちに安らかに往生されました。その時のようすについて、『本願寺聖人親鸞伝絵』巻下には、
    聖人弘長二歳 壬の戌 仲冬下旬の侯より、いささか不例の気まします。よれよりこのかた、
    口に世事をまじへず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらはさず、もつぱら称名たゆることなし。
    しかうしておなじき第八日 午時 頭北面西右脇に臥したまひて、つひに念仏の息たえをはりぬ。
    ときに頽齢九旬にみちたまふ

と述べられています。臨終の枕元には、末娘の覚信尼、越後から上京してきた三男の益方入道、
このほか門弟の顕智房や専信房などがいたと伝えられています。
九十年におよぶ聖人の生涯は、決して平穏なものではなく、むしろ苦難の連続であったとしのばれます。
 ところが、『教行信証』には、
    しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。
    すなはち無明の闇を波し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと

としめされています。阿弥陀如来の大悲の願船にのり、光明の広海にのりだしたうえは、
名号のおはたらきによって風は静かに、波はおだやかに、一切のわざわいの波が転じて、
煩悩の闇がやぶられ、浄土に往生して、仏のさとりをえて、一切衆生をすくう徳があたえられる、と讃嘆しておられるのです。
聖人においては弥陀の本願を信じ、念仏申す人生が、そのまま慶びの人生であったことがうかがえます。
 11月二十九日に延仁寺で火葬され、三十日に鳥辺の北の大谷に納骨されました。
覚信尼さまは、十二月一日付けの手紙で、越後の母恵信尼さまに知らせておられます。
    去年の十二月一日の御文、どう二十日あまりに、たしかにみ候ひぬ。
    なによりも殿(親鸞)のご往生、なかなかはじめて申すにおよばず候ふ

 悲報を受けとられた恵信尼さまは、悲しみを内におさえて、「殿(親鸞聖人)がお浄土にご往生あそばされましたことはまちがいなく、
あらためて申すまでもございません」との返事を書いておられます。そこには、夫である親鸞聖人への深い信頼と思慕、
そして同じ道をともに歩みたい、との子に対する母としての願いがうかがえます。
 さて、寺院にかぎらず門信徒の家庭においてもおつとめする報恩講では、いまのような歴史的背景を念頭におきながら、
決まってこの御文章が拝読されていました。報恩講といえばこの一章が浮かぶ方々もあることでしょう。
ただ、このほかにも第三帖第十一通、第四帖第六通などにも報恩講についてふれられていますので合わせて味わいたいものです。 

▼念仏の称えごころ


 この御文章は内容的には二段に分かれます。全段では人々に信心を勧められ、
「されば当流には…」以下の後段では浄土真宗に教義を述べておられます。
その前段では、御正忌報恩講に参詣する人々の中に、信心の人も不信心の人もあるが、
そのことは大事なことである、としたうえで、「そのゆゑは…」からは、その大事なわけを指摘して信心を勧められるのです。
そのところで、信心決定と浄土往生を願うべきことが説かれています。
 後段は、四節に分れ、
①「されば当流」からは、浄土真宗における法義の特徴である信心為本を明らかに、
②「それ人間に流布して」からは、信心何よりも大切であるのに、信心がなくても称名さえすればよいという考え方が広まっているが、
 それでは往生の目的をはたすことができないと誡め、
③「他力の信心をとるといふも」からは、信心とはなにか、が説かれています。
 そこでは『大経』と善導大師の『観経疏』「玄義分」が引用されて、六字のいわれをこころえることが信心であると示されます。
④「これすなはち」からは、最後に、このような人を真の念仏者という、と結ばれます。
 これを要約しますと、他力の信心がなくて、ただ称名ばかりを口にすること(無信単称)を誡め、
南無阿弥陀仏の六字の解釈をとおして他力の信心を明らかにされ、信心を得ることを勧めてくださっています。
 無信単称について説明を加えておきます。蓮如上人の時代は、
それに先だって流行していた浄土宗鎮西派の口称念仏の影響が浄土真宗の内部にも及んでいたことがうかがえます。
したがって御文章においても、これに関するものを取り出してみますと、
    雑行・正行の分別もなく、念仏だけにも申せば、往生するとばかりおもひつるこころなり

    されば世間に沙汰するところの念仏といふは、ただ口にだにも南無阿弥陀仏ととなふれば、たすかるやうにみな人のおもへり。
    それはおぼつかなきことなり。さりながら、浄土一家においてさやうに沙汰するかたもあり、是非すべからず

    しかれば世のなかにひとのあまねくこころえおきたるとほりは、
    ただ声に出して南無阿弥陀仏とばかりとなふれば、極楽に往生すべきやうにおもひはんべり。
    それはおほきにおぼつかなきことなり

や、このほかにも第三帖第三通、第五通などがあります。
 ただ、無信単称が流行していたのはいまから五百年前の蓮如上人の時代だけだ、とは言いきれません。
長い伝統の中で、いつ頃からか、御経を読んだり念仏を称えることにはげめば、死後極楽に行けるという考え方が広まっていきました。
今の時代も、その延長上にあって、何でもよいから一生懸命拝んでおればよい、というような宗教意識の人が跡を絶ちません。
 親鸞聖人が晩年に書かれた『正像末和讃』に、
    信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も
     如来大悲の恩をしり 称名念仏にはげむべし

があります。これは、疑いがはれても、念仏を称えておれば、きっと信心がえられるという意味ではありません。
そう解釈すると問題が残ります。疑いながらの念仏でも、称えさえすれば、信心が得られるということになると、
念仏が信心をえるための条件のように受け取られることになりかねません。
 この和讃は、「信心のひとにおとらじと」と「如来大悲の恩をしり」が大切なところなのです。
疑いの心を捨てて、はやく他力信心を喜ぶ身となり、御恩報謝の念仏を称えるように、とすすめてくださっているのです。
 御恩報謝の念仏とは、私たちがいただくお念仏の心持ちをしめして、
仏の仰せを信じたそのときにすでに往生は決定するのですから、ただすくわれたことを有り難く思って称えるばかりということになります。
 南無阿弥陀仏と称えることが仏の徳を讃嘆していることであり、これを聞く人に、仏法を伝えるはたらきとなります。
御恩報謝のお念仏をしている人の生活全体を通して、周囲の人びとにお念仏の称えごころが伝わっていくことになります。

▼南無阿弥陀仏とは?
 
 また、南無阿弥陀仏の六字の名号について考えてみることにします。
まず、「南無」(ナマス)という語の音写であって、語訳をしますと帰命となります。
帰命とは帰順勅命(きじゅんちょくめい)の意味で、親鸞聖人は『尊号真像銘文』に、天親菩薩の『浄土論』の文を解釈して、
    「帰命尽十方無碍光如来」と申すは、「帰命」は南無なり、
    また帰命と申すは如来の勅命にしたがうこころなり

とされていまますので、「おおせにしたがう」「おおせにまかせる」という意味で、信心のことになります。
蓮如上人は、これを、「もろもろの雑行をすてて、疑いなく一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなり」としておられます。
 「阿弥陀仏」については、阿弥陀とは、(無量光)や(無量寿)の表現で示されるように、光明と寿命に限りがない仏ということです。
無量光とはどのようなところも照らしているということで、無量寿はいつでもいてくださるとうことですから、
空間的・時間的に無限であることをあらわしています。
したがって、すべての人々が仏のおはたらきの真只中(まっただなか)にいるのです。
  さらに、「仏」とは(ブッダ)という語の音写で「仏陀」と表現したものを、略して仏といいます。
その意味は「めざめた者」で、ほんとうのことがわかったもの、ということです。
『観経疏』「玄義分」に、
    自覚・覚他・覚行窮満、これを名づけて仏と為す
とありますように、自分がめざめるとともに、他のものをめざめさせることに完全なものが仏なのです。ほんとうのことがわかっているのが智慧で、他のものをめざめさせるのが慈悲のはたらきですから、智慧慈悲円満の仏であります。
 さて、蓮如上人がご引用になった南無阿弥陀仏の六字についてのご解釈は、「玄義分」の、
      南無といふは、すなはちこれ帰命なり、またこれ発願回向の義なり。
      阿弥陀仏といふは、すなはちこれその行なり。
      この義をもってのゆゑにかならず往生を得      「教行信証」
という文で、これをまとめて、かならず浄土に往生できるとしています。
 親鸞聖人はこれをうけて、六字釈をしめされ、
      しかれば南無の言は帰命なり。(中略)ここをもって帰命は本願召喚(ほんがんしょうかん)の勅命(ちょくめい)なり。
      発願回向(ほつがんえこう)といふは、如来すでに発願して衆生の行を回施したまふの心なり。
      即是其行(そくぜごぎょう)といふは、すなはち選択本願(せんじゃくほんがん)これなり
                                                     「教行信証」
と述べておられます。この文章をわかりやすくすると「南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏が衆生を救いたいとの願いを起こされ、その仏のうえにできあがった功徳のすべてを衆生に与えたいとの心から、たのみにせよ、寄りかかれ、必ず救うとよびかけつつある法である」といえます。
 蓮如上人は、それらのご解釈をうけて、この御文章では「南無」の二字と「阿弥陀仏」の四字とに分けて解釈され、衆生がいただいた信心と阿弥陀仏のおすくいのはたらきとはひとつであることを明らかにされるのです。

                                                           清岡 隆文 先生  

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