第1回海草組念仏奉仕団

期 日  平成25年3月7日~8日
参加者  38人


本願寺からのご挨拶  
昭和28年より始められましたこの活動は、既に50年あまりの歴史があり、毎年多くの方々のご参加をいただいております。1泊2日の日程で、ご面接、お晨朝参拝、ご法話、そして清掃を通じて、仏縁の喜びを深めていただきたいと存じます。そしてご自宅にお帰りいただいた後は、ご家族、ご友人にご本山奉仕の喜びをお伝えいただき、有縁の方々にご案内いただきたいと存じます。

本願寺念仏奉仕団五十周年に際しての消息
本願寺念仏奉仕団は、昭和23年の蓮如上人450回遠忌法要に参拝された方々が、戦争で荒廃していた本願寺境内地を見て心を痛められ、自主的に来山されたことに始まります。昭和28年にはご奉仕いただく仕組みが調えられ、この度、50年を迎えました。
 昭和36年の親鸞聖人700回大遠忌法要の頃から、1泊2日の日程が定着し、さらに、交通網の発達と宿泊施設の充実により、全国各地から奉仕団の方々をお迎えすることができるようになりました。今では、年間2万人前後の方々にご奉仕をいただいています。
 さて、宗祖親鸞聖人のみ教えの要は、阿弥陀如来よりたまわる信心によって往生成仏させていただくことですから、外面より内面が重要でありますが、親鸞聖人を宗祖と仰ぐ私たちにとっては、御真影をご安置した御影堂、如来さまをご安置した阿弥陀堂をはじめとする本願寺全体が仏祖のお徳を讃え、仏縁に遇わせていただく大切な場であります。今日、両御堂や境内が美しく清掃されていることは、念仏奉仕団の方々のご奉仕のたまものであり、あつい思いを抱いて参拝される方々にとっては申すまでもなく、京都観光の一つとして参拝される方々にも、大切なお念仏のご縁を結んでいただくことになります。
 また、阿弥陀如来そして親鸞聖人への崇敬の心が、御堂内外への清掃奉仕となって表れることはまことに尊いことであり、宗教本来の姿がわかりにくくなってきた今日の社会であるべき宗教活動を示すものとして、たいへん有意義なものであります。
 念仏奉仕団の方々のご奉仕と晨朝法要での正信偈のご唱和は、本願寺の宝であります。
 『蓮如上人御一代記聞書』には、「一日のたしなみには朝つとめにかかさじとたしなむべし。一月のたしなみにはちかきところ御開山様の御座候ふところへまゐるべしとたしなむべし」という言葉が伝えられています。毎日のお内仏での勤行とお給仕、月に一度の近くのお寺への参拝と奉仕、そして、年に一度の本願寺奉仕団と一つにつながることを願ってやみません。そして、お念仏に支えられた奉仕団のこころが家庭から地域社会、さらには世の中へ広がってゆくことを期待しています。
 五十年という節目にあたり、これまでご奉仕くださった方々にあらためて感謝いたしますとともに、今後もご奉仕が続くことを念願いたします。
     平成十六年 五月二十日
                                                                                   龍谷門主 釋即如 
親鸞聖人ご誕生の聖地 日野の里
 今からおよそ800年有余年まえの承安3(1173)年、浄土真宗の開祖親鸞聖人は、ここ日野の里でお生まれになりました。父は日野氏の一族・皇太后宮代進日野有範卿、母は清和源氏の八幡太郎義家の孫娘吉光女であったといいます。
 この地は代々、藤原北家の一流である日野氏の所領でした。初代藤原真夏は「ここは仏法有縁の地である」という老翁一萱尾の翁一のお告げをうけて、光仁天皇よりこの地を賜ったといいます。それから7代の孫にあたる藤原資業がここに別荘を営み、自ら出家して法界寺を建て、日野氏を称するようになりました。以来、法界寺には阿弥陀堂をはじめ五大堂、三重塔、観音堂、地蔵堂などが次々と造営され、七堂伽藍に輝く威勢を誇りましたが、のちに比叡山を焼き討ちした織田信長の兵火に焼かれ、往時を偲ばせる現在の建物は阿弥陀堂のみとなっています。この阿弥陀堂には定朝作と伝える丈六の阿弥陀如来が
安置され、4本の柱には十二光仏、その上の漆喰地の小壁には飛天が浄土の音楽を奏でています。
 このように浄土信仰の篤い雰囲気の地にお生まれになった親鸞聖人は、あるときは母の胸にいだかれ、あるときは父に手をひかれこの阿弥陀堂に参詣し、その幼い目と心で慈愛に満ちた丈六の仏を拝み、仏に語って成長してゆかれたことでしょう。聖人が亡き母を慕って、庭に土饅頭をつくり仏像に見立てて朝な夕なに合掌された、という伝承も残されていますが、後に末法濁世の人びとの平等の救済を求めて本が念仏の道をひたすら歩まれる聖人の浄土教信仰の素地は、まさにこの地で育まれたといえましょう。法界寺の裏手には、今も日野家の廟所があり、そこには有範卿、吉光女などの墓が大樹に護られているように残っています。
                            本願寺日野誕生院 リーフレットより


得度にあたって詠まれたという
 「明日ありと思う心のあだ桜
 夜半(よわ)に荒らしの
  吹かぬものかは」

「今、咲いている桜も、夜中の嵐で明日には散っているかもしれません。それと同じように、私の命も無常の世にあって明日がないかもしれません。どうぞ、今日のうちに得度させてください」という親鸞聖人の懇願に、慈円和尚はすぐに得度の儀式をとりはからった。


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